自覚のありなし。

クレーマーが大の苦手である。とりわけ目の前で誰かがクレーマーに絡まれているのを見るのが苦手である。自分自身がクレーマーに絡まれる方が、相手に対して何とでも切り返しができるのでまだましである。目の前でクレーマーが絡んでいる姿をなすすべもなく見ているだけで、心のなかがどす黒くなってくる。

もちろん絡まれている方のことも気の毒に感じるのだが、それにもましてクレーマーである方の人物を見ているのが辛い。冷静に考えてみれば、人に怒りをぶつけたところで、心がすっきりするわけはないのだ。クレームを付けることが好きな人であっても、知らず知らずのうちに、人に怒りをぶつけることによるダメージが自分のなかに蓄積していく。きっとクレーマー自体も、家に帰ったり1人きりになってみれば、言いようのない罪悪感や虚しさに包まれるのだろう。それでも人に怒りをぶつけなければ気持ちが収まらないくらいに、目の前のことに行き詰まりを感じていたり、蔑みを受けているように感じて、自分の感情をうまくコントロールできなくなっているのかなと思い、見ているこちらが辛くなってくる。

でも、それもしょうがないことなのだと思う。だからクレーマーよ消えろと言うのも、それはそれでクレーマーにとっては酷なことだし、伝えたところで逆効果になる。それがたとえ周りに迷惑をかけ、負の感情を撒き散らしていたとしても。

★★★

世の中のあれこれについて一言言って溜飲を下げるのも同じようなことなのかもしれない。クレーマーと違うのはそのターゲットが目の前の人ではなく、有名人や「若者」といった不特定の存在だったりする点であり、直接影響を与えるわけではない(何百何千の声が集まればそれは破壊力のある凶器となる)。しかしながら自身は安全地帯にいながらモノ申しているということにおいてはある意味でクレーマーよりもたちが悪い。SNSを手にするようになってからそういう人が増えたし、実際僕もまたこのブログで変に高いところからがモノを言っていることが少なくないと自覚している。そういう言い方をしても共感を得られることはないとわかっているのだけど、今のところ変えられない。加えて、高いところからものを言うと、自分にスキができる。そうやって足もとを救われて、だんまりを決め込んだり、静かに去っていった人もたくさん見てきた。自分もまた、派手にすっ転ぶこともあるのだろうか。それがわかっていてもモノ申し続けるのか。

結局、自分の行動と感情には、自分で気がつくしかないのだけれども。