みずほ銀行のことについて、問題の本質とは違うところで感じたことを。
大人になれば苦手になるものの代表格は『怒られる』ことだと思う。怒られる機会自体が少なくなるし、プライドも高くなる。みずほの頭取がマスコミのインタビューを受けていたが、逆ギレしているような応対で、非常に印象の悪いものであった。
かく言う僕も、最近何度か怒られることがあった。やっぱり、誰に見られているわけでもないけれども恥ずかしい気持ちになるし、怒られた相手に対して卑屈な感情を抱かざるを得ない。言い返してやろうと悶々と考えたり、自分の調子が悪い原因を怒られたせいにしようとしたり、ダークサイドに落ちそうになった。ぎりぎり言動に移すことなく我慢できたので良かったが。
僕が人に怒ることはほとんどない。相手に間違いがある時も、間違いがあることを認識してもらうようにして、その言動が駄目なだけであって、その人自体を否定するものではないと受け取ってもらうように気をつけているが、それでも怒られたことに対する不快感を表されることもある。それは怒り方をどれだけ工夫してもしょうがないことなのかもな、と思う。
怒る方もまた、嫌われるリスクを承知で怒っている。冒頭のマスコミの対応は、安全地帯から石を投げているようなもの(昨今必ずしもそうとは言えなくもなってきたが)だが、通常怒るということはそもそも相手に何らかの期待があって、そのレベルまで上がってきてほしいからこそ、失敗を繰り返して欲しくないからこそなされる言動である。それが行き過ぎたものや八つ当たりに近いようなものもしばしばみられるが、それは怒った側の評価が落ちていくだけのことで、そもそも『怒る』という言葉にそぐわない言動だと思う。ただ、それにつられて逆ギレしてしまい自らの価値をも落としてしまうという可能性もあるのだが。。
怒られた方からみると、怒られることによって萎縮してしまったり、悪い事態をさらに自分ひとりで握り込むようになる、という可能性もある。本当に恐ろしいのは、失敗したことではなく、失敗したことを隠そうとしたりなかったことにしたりするなかでより大きな失敗を招くことだ。今回のみずほの例は、それが最も悪い形で出てしまったのだと思う。
怒られた時や、怒られる可能性がある時のふるまい方について、もっと広く共有されてもいいのではなかろうか。規則や強迫観念に頼らずマネジメントするような組織が増えて、怒られることに過度な苦手意識を持たない大人が増えればいいなと思う。