続・くだらない唄。

大学時代の思い出はなぜか、車から見た景色ばかりが残っている。深夜ひと気のない谷田部バイパス、どこまでも続くかに見える国道408号線のいちょう並木、県道200号線の先に見える夕陽、そしてひっそりと静まるわが家の駐車場。

脳裏に流れるのはあの頃すり切れるほど聞いたBUMP OF CHICKENのメロディー。それもどこか物悲しい曲ばかり。良かったこともたくさんあるはずなのに、思い出すのは悲しかったり寂しかったことばかり。

あの頃はたいした未来も描けなかった、というか描き方を知らなかった。今の自分の延長線上でしかものごとを見れなくて、それが世界の全てだと思っていた。それは今から思えば相当に子どもっぽくて、可愛いものだった。

そして10年後、同じ場所に立って、感じるのは希望だろうか、それとも絶望だろうか。幸運と言うべきか、変に斜に構えてものを見るようなことはなくなった。かといって、社会に適応しているわけでもない。そもそも過剰適応したくもないが。

あの頃の方が今よりもずっとぎりぎりを生きていた。何者にもなれる、ということは裏を返せば何者にもなれない可能性もある、ということだ。ぎりぎりの綱渡りで生きていた。それは、今振り返れば何者かになろうともがいていたと言えるのだろう。

そんな気持ちを代弁してくれたのが、バンプのいくつかの唄だった。真っ暗な道、車の中も真っ暗、ヘッドライトの灯りだけが伸びていく箱のなかで、繰り返し藤原くんのミックスボイスにあわせて、自分もまた唄っていた。

「続・くだらない唄」で、藤原くんが笑いながら唄っている箇所がある。これは思い出し笑いだろうか、苦笑いだろうか。ともかく、絶望の淵にあるような歌詞のストーリーが、このくたびれた笑いをきっかけに少しずつ希望を取り戻していくように僕には思えるのだ。そして最終盤で彼は力強く「景色に色が付く」と唄いあげる。

あの頃からどうやってここまで歩いてきたのか、振り返っても正直よく覚えていない。歩いて進むということは、分岐点での他の選択肢を捨てていくということだ。もちろん引き返して選ばなかった道を歩き直すこともできなくはないが、それにはよっぽどの覚悟を必要とする。つまらないと思い込んでいた道も、歩いてみれば意外に楽しかったりもする。歩きにくかったり、辛いこともあったかもしれないが、のど元を過ぎれば案外忘れてしまったりもする。

「続・くだらない唄」において、タンポポの丘が過去と現在と未来を繋げる場所となっているのと同様に、僕にとってこの唄が、過去と現在と未来を繋げる場所になっている。