法人。

3月末でかなりの人が会社を去っていった。この先進む道が正しいのかどうかはわからないけれども、4月に入って少し時間が経って、職場の雰囲気は明らかに変わった。あまり仕事もなく澱んだ空気をもたらしている人がそのままいなくなるだけで、これだけ変わるものとは思わなかった。


結果論にはなるが、会社としてのビジネスモデルを作り変えることには成功するのだろう。ただそれには、大きな痛みを伴うことも確かである。痛みがあることを呑み込んでも大ナタをふるうことができるのは、経営者としては重い決断であるし、相応の覚悟が必要なことだ。成功するとしても、成功に至らなかったとしても、その決断をした勇気には敬意を表したいと思う。


法人という生き物は、時間とともに姿を変えてゆく。新しい人を呑み込んでは吐き出し、時代に応じてその中身を変えてゆく。法人が活動するうえでの理念もまた変わっていく。株主や取締役すら変わっていく。会社に人生を捧げる、とはどういうことなのだろうか。そして、会社を人生のよりどころとする、とはどういうことなのだろうか。考えは尽きない。

性格テストと規律。

性格テストを受けてそのフィードバックをもらった。回答傾向自体は一貫しているものの、協調性がない、情緒や感性に基づいて考え行動することが多い、人をエンパワーすることに喜びを感じる、、等々あんまり基本的なところは変わっていない。


もういい歳だし、自分の性格は変えようもないのだから、あとはこの気質が生きる場所を探してそこでできる限りの努力をするだけなのだと思う。そして性格は変えられなくとも、自分で自分のことを律して、地道に積み重ねることはできる。


自分には改めて、特筆すべき能力はないことを認識する。それでも、積み重ねてきた経験をしっかりと血肉にして、頼ることのできる周りの人を財産にして進んでいくしかない。あとは愚直にそれを積み重ねることでしか、人を動かすことはできないし、大きなことを成し遂げることもできない。


虎視眈々と、自分が目指すべきゴールを狙い続け、追いかけ続ける。いくつもの釣り糸を垂らしておき、丁寧にそれらをメンテナンスし続ける。これの繰り返しでしか成果はついてこない。

変える勇気。

東京も目に見えて感染者数が増えてきたが、ムードはのんびりしたものである。飲食店もそれほど閑散としている感じもしない。明らかに、弛緩した状態で変異株が広まっている。


真っ当な考えができるマネジメントならば、出社率を抑制すべきであると判断すべきタイミングにきている。リソースが確保できている組織においえその判断ができないのはマネジメントミスと言っても差し支えないであろう。


大阪での医療崩壊は、どこまで突き進むだろうか。そして1ヶ月遅れくらいでこの波は東京にもやってくることになる。なにが大切にすべきものなのか、経営者はもう一度考える時期なのだと思う。


Covidに意思があるのなら、変わらない人間に変わるべく最後通牒を突きつけるまで、繰り返し流行を続けることになるだろう。どこまで拘りを持たずに、変化を受け入れられるか。覚悟が問われている。


難しいことではない。いままで惰性で続けていたことをゼロベースで見直すだけでいいのだと思う。不安や固定観念は手放して、新しいことに楽しみながらチャレンジしていくと、自ずと道は開ける。

没頭。

昨日は、子どもが最近あまり言うことを聞いてくれないだとか、どうやったら言うことを聞いてくれるか、みたいなことを言ってしまったが、ふと冷静になると、そういう言葉を浴びせてしまうのは酷なことだろうなあ、と思ってしまった。


自分の好きなことに、時間の経つことも寝ることも忘れて没頭しているのを、途中でやめて切り上げなさいと言うのは酷なことである。あしたの学校や学童で眠くなることよりも、いまこの時間がかけがえのない瞬間なのだ。それをつまらない理由で遮ってしまうことが申し訳ない。


まじめに勉強して、いい会社に入ったから幸せが約束される時代でもない。それならば、我慢をして無理やり机に向かわせたり、束縛するのは可哀想だと思う。もちろんなんでも試してみる機会を与えるのは親の役目だけれども、無理になにかをやらせる時代ではないと思っている。


幼稚園の最後の1年は、在宅勤務も増えて、朝はゆっくりと過ごせる日が比較的多くてよかった。ひとつひとつがかけがえのない時間だった。これからもあっという間に大きくなって、パパの知らなかった世界にどんどん潜り込んでいくことになるだろう。パパはパパで、自分の好きな世界に潜り込んでいくから。好きなことをやろう。

その次へ。

久しぶりに、旧知の人とひっそりと酒席へ。だいたい酔っ払ってくると相手からは同じ話が出てくるのだけど、それでも楽しい。そして人生なんて、なにを残したかよりも、どれだけ毎日楽しい時間を過ごせたかだよなあ、と今さらながら思ってしまう。波長の合う人とどれだけ言葉を交わして、議論をして、ひとつのものごとの達成に向けて力を合わせたか、意味のある仕事ができて、どこかの誰かが救われたか。自己満足だけど、そういうことで自分の人生は作られていくのだと思う。ブルシットジョブを積み重ねるのはごめんだ。


毎日たいへんな思いをしている人も多いし、ぼく自身も昔に受けた傷から立ち直りきっていない部分もあるけれども、大きな揺さぶりをかけられながらも、時代は新しいものを創る方向に向かっているし、僕なんかよりもずっと優秀な若い人たちが、昔よりももっと素晴らしい世の中に導いてくれようとしている。まだまだ自分だって老け込むつもりもないし、心はいつまでも若く、旧態依然とした業界をアップデートしていきたい。

親育て。

うちの子が最近よく言うのは「⚪︎⚪︎しろって言われたから⚪︎⚪︎をする気を失くした」という台詞である。小学1年生にしてはなかなかに複雑なことを言うものである。


それまでも早くしなさいだとか毎日口を酸っぱくして言っていたのだが、最近まではそれに反論する言葉を持ち合わせていなかったのであろう。もしかすると、反論ができないでいるということがストレスだったのかもしれない。それがいま前述のような切り返しという形で具現化している。


そんな台詞を吐かれると、「⚪︎⚪︎しなさい」という言い方はもう通用しなくなる。大人としては、パワープレーで乗り切るわけにもいかないので、もっとマイルドに、彼がやる気を起こさせるように言葉を選ぶしかなくなる。息子もなかなかに考えたものだ。親にも成長させる機会を授けているようなものだ。


結局ガミガミ言ったところで子ども自身に伝わるものでもなく、いかに彼自身で「早く⚪︎⚪︎したほうがよい」ということに気づけるか、なのだと思う。気づきを自分で掴み取る、というのは親にとってはたいそう忍耐のいることだが、それもまた子育てであり、親育てでもある。

沼と袋小路。

ファストリ柳井社長の新疆ウイグル自治区に関する発言には考えさせられるものがあった。「政治的に中立だからノーコメント」というスタンスを貫くのはきっと未来の世界からは間違いだとみなされるだろう。


既にファストリは中国での売上が全体の30%を占めており、政治的な発言をすることでこれに急ブレーキがかかるのは避けたい、という気持ちも分かる。ただ、目先の売り上げよりも大切なものをこの発言で失ってしまった。結果論だが、いまの中国という国家で大きく事業を展開することのリスクが露呈してしまった。


この米中の争いがどう着地するのかはわからない。あっけなくカタストロフな出来事が起こって決着がつくのかもしれないし、ここから長年にわたって、どちらが勝ったとも言えない泥沼の駆け引きが続くのかもしれない。日本とそのなかで活動する民間企業も徐々にその旗色を鮮明にすることが求められてくるだろう。


どちらがいいと言うつもりもないし、はたして最後にどちらが勝者となるのかもわからない。ただ、どちらにつくにせよ、覚悟が求められるのは間違いなさそうだ。目先の売り上げや利益だけではない、プリンシプルに基づいた行動がなければ、思ってもみない袋小路につかまるのだと思っている。