ゼンシン。

なんだかちょっと、打ちのめされてしまったような感じで、言葉が浮かばない。2年前も同じようなメンタルだったな、ということを思い出す。


どんな状況であれ、自分を整えて、やれることを着実に一歩ずつ踏み出して取り組んでいかねばならない。おざなりになってしまっては全てが破れかぶれになる。


リセッションの足音が聞こえる。決定的なイベントがなにになるのかはいまだ見えない。金利がぐっと上がるのか、それともまた地政学的イベントが起こるのか、Covidに類するウイルスが再度蔓延するのか、いずれかはわからないけれども、ちょっとしたユーフォリアのような状態になって、浮かれてリスクオンに舵を切ると、ひどい火傷をしてしまいそうな地合いである。もっとも、ベンチャー界隈などは冷え切ってはいるのだが。


自分も、社会全体でみても、我慢と忍耐が必要な時期だと思う。多少の失敗にはへこたれずに、前に進む必要がある。ひたすらに、細かく細かく、手数を繰り出していく、良いサイクルでものごとが回っていくためには、必ず自分ならできると信じて、淡々と行動を続けていくしかない。

貸し借り。

10年以上前からお世話になっている人と食事。毎度まいどいろんなことを教えてもらっている。そのなかで過去何度か、そして今回も指摘されたのは、「情報は一方的にもらうものではない、自分からも相手になにか提供しなければならないよ」ということである。


関係資本という言葉がある。人間関係はいろんな貸し借りで成立している。困ったときに助けてもらえる人がいるかいないか、いま目の前のことを進めようとするときに手を貸してくれる人がいるかどうか、というのは文字通り自分の生命線だと思う。


はっきり言えば、自分は人からなにかをしてもらってばかりである。それに対して、自分から周りの人になにかお返しができているかというと、はなはだ疑問符がつく。それでも、自分が周りの人に提供できていることはなんだろうか、満足させられているかは別として、満足させようという気持ちは消えていないだろうか、といつでも自問自答し続けてなければならないだろう。


謙虚に、そして利他の心をいつも忘れずに。そして世の中は自分ひとりではどうにもならないことだらけであると心に留めて。

甘さと厳しさ。

自分自身はずいぶん甘やかされて育ってきたなあ、という自覚がある。それがよかったのか悪かったのかはいまだにわからない。失敗もいくつかはあるのだが、まあそれなりにここまで生きてこれたということは、致命的に悪かったということではなかったのだろう。こればっかりは、時代や環境に左右されるものが多い。自分が育ってきた時代も厳しいものではあり、同世代もそれぞれに苦労はしているが、まだぎりぎり逃げ切れた世代と言えるのかもしれない。


自分の息子に対しては、自分が受けてきたよりは厳しめの育て方をしている、という自覚がある。時代がより厳しくなっているというのもある。既存の社会の枠組みに乗っかって生きられる時代では全くなくなってしまったし、日本というマーケット自体に魅力がなくなってしまった。


公務員も、医師も、いまではとんと人気がなくなってしまった。既得権益など、この国には存在しなくなってしまったのだろう。自分の腕で、ガチンコで勝負していかねばならない時代になってしまった。なにをやってもチャレンジングなのであれば、せめて自分が本当に楽しいと思える生業を見つけてほしいものだとは思う。

風と賞味期限。

参議院選挙が目の前に迫っている。街の中の至るところにポスターの掲示板が用意され、大人だけでなく子どもも不思議そうに覗き込んでいる。よくもまあ、個性的な人たちが立候補するものだなあと思って眺めている。いろんな意見を持つ人が政治に参加すること自体にはたいへんに意味があるし、政治体制としてはよくできているなあと思う。


選挙の趨勢はあらかた見えている。与党盤石の体制は変わらないだろう。ただ、大きな流れに隠れて見えないところで、小さな変化が起こっていることも感じる。社会は1日にして大きく変わることはないが、小さな変化を積み重ねていけば、長い年月のなかでみれば大きな変化につながっていくこともある。


選挙で勝つ、ということはまさに地道な活動の積み重ねである。幾多の政治団体が世の中を変えようとしたが、政権交代2度しか起こらなかったし、その風も数年で消えてしまった。もうそろそろ与党も賞味期限切れだとは思う。骨太な政治集団が出てきてほしいとは思うのだが、もう少し待たなければならないのかもしれない。

海と水と猛暑。

猛暑続く。汗をたくさんかいている、という自覚もないのだが、とにかく喉が渇くので、たくさん水を飲んでいる。毎日3リットルくらい飲んでいるような気がする。


今年は今までにもまして軽装で過ごしている。16-17年前はネクタイを締めて、ジャケットを着ていたなんてのが信じられない。スーツは塩を噴いていたのではないだろうか。


最高気温が35度を超えると、さすがにものごとの判断が鈍るのは自覚している。仕事の打合せや作業中にもふっと意識が遠のくことがある。本来は活動をしてはならない気候なのだろう。


これで猛暑日にほぼ近い暑さが7日連続。数日後からは暑さがおさまるという予報が出ていても、蜃気楼のようにその日が遠ざかっていく。


昼間は少し海のほうに行く。風が吹いてきて、暑さを吹き飛ばしてくれる。陸地がこれだけ熱せられていても、海は滔々と涼やかさを抱いている。水の存在こそが人間をはじめとする動物たちが生きていける環境を形づくったのである。


たいへんな一週間ではあったけれど、全て終わったいまとなっては爽快な気分である。

ひっぱく。

電力需給が逼迫しているのだという。熱中症に気をつけながらも、節電してくれ、という妙な要請が出ている。他国では計画停電なども行われていたりもするわけで、まだマシなのかもしれないが、日本もだんだん後進国になっているようにも思う。


円安が進行して製造業が国内に回帰してくる、という希望的観測もあるが、そもそも働き手もいなくなってきている。また、この電力不足では回帰してくるものも限られてくるであろう。


しかしながら、この制約要因のなかから、生産性向上は成し遂げられるのかもしれない。BtoBでもBtoCでも値上げは浸透しつつあるし、補助金依存の経済サイクルからは少しずつ脱しようとしている気運は感じる。いままでが手厚すぎたとも言えるのだろう。


焼け野原に投げ出されて、もう一度ゼロからやり直せと言われればやればできる国民性なのだとは思う。金利は上げられないから、このままズルズルと円安は進んでしまうのだろう。できればそうなってしまう前に取れる対策は取っておきたかったのだが、万事なにが功を奏すかはわからないので、いまは前向きにやっていくしかない。

南国。

関東近郊ではあるけれども、地方に行く。やっぱり地方は面白い。もちろん、土地ならではのしがらみもあるし、なにもかもがうまくいくわけではないけれども、ポテンシャルがあって、自分たちがなにかすればその分よくなるはず、という手触り感があるのはよい。


いやしかしとびきり暑い。関東は海沿いよりも内陸部のほうがこの季節は暑くなる。地表がゆらめいている。とはいえ、東京のように、グッと空調がきいているようなところはあまりないので、むしろ体調は崩さないのかもしれない。


なんというか、地方にいると、ああある程度適当にやっていてもなんとか生きていけるな、という根拠のない気持ちがムクムクと湧きあがってくる。収入は望めないが、生活コストもそれに応じて低いし、求められる水準感が東京とは違う。別にバリバリやるだけが人生でもないのだ。なぜか、訪れる前よりも身体も心も軽くなって、帰りの電車に乗り込む。


特急列車から乗り換えていつもの通勤電車へ。弱冷房車はいつにもまして空調が効いておらず、ベタベタとした南国の空気が流れている。自分にはやはり、このくらいがちょうどよい。