ココイチ②。

昨日に引き続き外食の話をば。きょうはココ壱番屋でランチ。考えてみれば4年ぶりになる。その昔は残業食事代を使って食事しにきたこともあるし、16年前くらい、東京の会社で働きはじめた時に先輩とよく外出先で食べたことを思い出す。あの頃もおカネがなかったので、残業食事代が使えるとき以外はポークカレーを食べていたっけ。それは今でもあまり変わらないよなぁ、とひとりごちながらカウンターに座る。

もっと昔のことを思い出すと、高校生の頃学校の近くにもココイチがあって、土曜の昼だかにたまに友人と食べに行ったな、ということを思い出す。あの頃は1300グラムのカレーを20分以内に完食すれば無料、という『大盛りチャレンジ』があったことを思い出す。そういえばこういう類の完食すれば無料という看板を出す店はとんと見なくなった。時代は変わったということなのだろう。

昔は若かったので残業食事代が使えるときは600グラムなんてのも食べていたが、今では通常サイズか食べられても400グラムくらいだ。いろいろと変わってしまったな、という思いで、スプーンを口に運ぶ。まろやかなルーの味は変わらない。

ガストの風景。

久しぶりに野暮用があってファミレスに来た。デニーズあたりはちょくちょく行っているのだがガストは久しぶりである。夜のゴールデンタイムあたりなのだががらんとしていて満席にはほど遠い。

店員さんが案内してくれるわけでもなく自分で空いている席に着く。好きな席を選べるのは良いのだが、がらんとしていると思いきや、空き席の大半は食事後の状態から下膳がされていない。

店員さんがフロアに出てくるのも稀である。基本的にはタッチパネルで注文をして、すかいらーく系列でどこでも見かけるネコ型の配膳ロボが品物を運んでくれる。どれも見慣れた風景だが、ガストはとりわけオペレーションの効率化が撤退されているように感じた。

店員さんがフロアに出てこないので、ある意味では気楽である。長居していても気兼ねすることもない。客層も以前とは変わったように感じる。ファミリーは少なくなった。1人客が多くて、仕事や勉強など思い思いに没頭している。フロアも基本的には静かで居心地が良い。

例のネコ型ロボットは愛嬌もあって和む。下手な人間の店員さんが接客するよりも良い、というのも本音なのだろう。なかなか下膳にまわってこないので、自分で下膳棚に運んで、テーブルをおしぼりで拭いてなどするのだがそれも負担には感じない。味気ない部分があるのは致し方ないが、それよりも圧迫感がなくて、マンガ喫茶でのんびりしているような気分になる。

知らないうちに身の回りの慣れ親しんだ店もどんどん変わっていく。寂しがるのではなくて前向きに受け止められる自分でいたいなと思う。

春の夜の夢。

既報の通り、WBCは日本が14年ぶりの優勝。決勝戦も素晴らしいゲームだった。本当に漫画のような出来事が重なってのフィナーレであった。野球って素晴らしい、と感じられることができて良かったと思う。

 

米国の打線の重厚感は凄いものがあった。あの打線を9イニングで2点に抑えたのだから大したものである。若い投手がきょうもたくさん出てきたが、ビッグネームを抑えたことでさぞ自信に繋がったことであろう。これからのキャリアにつながる経験ができてなによりである。

 

2009年から2023年まで、日本でもいろいろなことが起こった。もちろんわたし自身もいろんなことが起こった。全て水に流してしまいたいと思うような時もあった。それでも、きょうこうして栄冠を勝ち取った侍ジャパンのように、生きていればいつか良いこともある、良い時も巡ってくるのだなあということを、優勝シーンを見て改めてかみしめた。

 

桜は早くも満開に近づいている。きょうは初夏のような陽気であった。万物は流れてゆく。

栄冠へ。

春分の日。わが家は野球の試合で朝も早よから出かけていたのだが、日本列島は別の野球の試合で沸き立っていた。WBC準決勝である。

既報の通り劇的な逆転サヨナラ勝ち。ストーリーとしては出来すぎだなと思う。世界最高峰の試合の緊張感が画面のむこうからでもよく伝わってきた。

普段のペナントレースとも、日本シリーズともまた違う空気感。野球を職業とする者としてはこの舞台に立つことのリスクはもちろんあるのだが、金銭的なものには換算できない得難い経験であるのも確かだろう。

佐々木朗希もそのような経験ができたのだと思う。腹部に打球が直撃していたが、怪我にはなっていないだろうか。彼がここからどのタイミングで海を渡るのか、それとも日本で選手生活を全うするのかはわからないが、間違いなく人生観に影響を与える試合になったことは間違いない。そんな痺れる瞬間に立ち会えたことは幸せである。

さて、朝を迎えればすぐに決勝の舞台である。未だかつて見たことのないような光景を見させてほしい。

季節。

3月も下旬に入り、いよいよ年度末、という雰囲気である。仕事柄10数年この時期はいろいろと立て込む。花粉症で身体をボロボロにしながら、31日まで遺漏なく走り切るのがひとまずの目標であった時期が確かにあった。その後多少閑職になったりで余裕のある年度末を過ごした時期もあったが、今年は久しぶりに年度末進行、といった感じの立て込みようである。しかしながら実際に手を動かすことは人に任せられる立場になってきたので、夜なべをしてExcelと向き合うようなことからはありがたいことに解放された。

毎年この時期になると、えもいわれぬ感情が湧き上がってくる。それは、入学、入社といった節目の時期にあたることもそうだし、これまで取り組んできた数々の案件の分岐点になった時期でもあったからだろう。普段は意識的に目を背けてきた自分の来し方や、あったかもしれない分岐点のむこうの未来、または自分の選択してきたことへの後悔の念も織り交ざって胸がいっぱいになる。

もうオッサンなのだから、そういう感情を発露してしまうのはらしくない、恥ずかしいことだと認識していても、止められないモノもある。そんな感情を流し込むのは酒なのか、乳酸菌飲料なのか。

出し入れ。

土曜は雨が降って、久しぶりにゆっくりとした週末になった。子どもを散髪に連れてゆき、撮り溜めたアニメを見て過ごす。勉強だの習いごとだのさせたい気持ちもあるが、まだ低学年なのだからたまには思いっきり自由に過ごせばよい。

 

自分自身も、夕方からは軽く仕事に出かける。最近平日と休日の境目が前にもましてあいまいになってきた。平日でもゆっくりと過ごしている日もあるし、休日でも完全にパソコンを開かない、仕事にまつわる作業をしない、という日もない。それでもなんとかやれているということは、好きなことを仕事にできているということなのだろう。

 

人に支えられていまの仕事ができて、いまの生活が送れているものだと痛感する。環境が変わっても、仕事のスタンスや、結果の出し方に変化がないのは、良くも悪くも自分自身の性格によるものなのだろう。だからこそ、しっかりやる時には努力の手を緩めるわけにはいかないし、休める時には思い切って休むことも必要なのだろう。

食生活②。

(昨日の続き)それがなんと、40歳を超えて、ここ2ヶ月くらいで、急にたくさん食べられなくなった。まだまだコンディションのいい時は大盛りの定食くらいは食べられるが、お代わりなどはさすがにできなくなってきた。お茶碗にちょうど一杯、くらいで充分に満腹感を感じるようになってきた。そして、目に見えて身体の肉付きがよくなってきた。

 

これは身体の中でなにか変化が起こってきたというのか。もちろん数時間食べなければお腹は空くのである。しかしながらすぐに満腹になってしまう。いままでが異常で、これで正常な、年齢相応の食生活が板についてきたということなのかもしれない。いずれにせよ、自分のなかでは戸惑いがある。

 

だんだん脂身の多いお肉も食べられなくなってきた。お菓子類は相も変わらず好きだが、果たしてこれもどうなるか。変わっていくことも受け入れて、文字通り腹八分目でやっていくべきなのだろう。