ものづくり。

最近、ものづくりの会社とよく面談することが多い。ものづくりといっても、町工場やバリバリの製造業というよりは、ノベルティであったり、雑貨小物だったりを作っている先が多くて、技術というよりはアイディアの掛け合わせで勝負している人が多い。


いまの世の中では起業といえば、すぐにwebサービスが想起されて、リアルな素材を用いてなにかを作る、ということは必ずしも主流ではないのだけれども、これからは一周まわってものづくり、それも大量生産大量消費というよりは、ニッチだけれども特定の層にはリーチする、というような企業が脚光を浴びていくのではないかな、と考えている。


そして、いまのものづくりの企業はみな、SDGsの概念を大切にしている。単なるトレンドでなく、真面目に自社のビジネスに取り入れている。自らのビジネスが、社会のなかでどのような意味を為すか、よほど金融業界などと比べてもしっかりと考え抜かれている。


残念ながら、いまの金融業界には優秀な人は少なくなってしまったし、日々勉強をしている人も少ないように感じる。他業界に謙虚に学ぶべきことは多いはずだ。

時刻表。

図書館でJTB時刻表を借りてきた。別になにか旅に出るわけでもない。単にパラパラとめくってみたくなっただけだ。


その昔、実家では毎月の時刻表を買っていることが多かった。別に頻繁に出張に行くわけでもないし、旅行の回数も多いわけではないのに、なぜ毎月1000円近くもする代物を買っていたのかは謎である。とにもかくにも、そのおかげか自分は新聞とともに時刻表を小学生の頃から愛読している子どもであった。それどころか、旅行のモデルルートを作ってノートに書いていたり、架空の路線を作ってその路線の時刻表をノートに書いてみたりするような子どもであった。


あの頃と変わらず時刻表はいろんな想像力をかき立てる書物である。あの頃と違って、列車の時刻はweb上でおカネを払わずとも簡単に手に入れられる時代になったので、時刻表は情報入手の手段というよりは、気ままに読んで偶然の出会いやインスピレーションを楽しむものとしての性質をますます強めている。時刻表の上の数字をなぞるだけで、頭の中はその列車に揺られて景色を見ている自分になりきることができる。

芝浦。

これまでとはうってかわって一気に冷え込んだ1週間であった。つい先週まではジャケットをずっとオフィスのデスクに置いて、ワイシャツだけで通勤していたのだが、今週からはそういうわけにもいかずジャケットを着て電車に揺られている。外を歩くと寒いのだが、電車内は空調の季節も終わり、なおかつ混雑も日に日に増してきているので、暑苦しさを感じることも増えている。なんとも服装の調節が難しい季節になってきたもんだ。


週後半はバタバタと移動が多かった。最後の締めに、なかなか足を向けることのない芝浦エリアを目指す。冷たい雨が降り続いていて、まるで真冬のようである。小笠原方面への航路の案内があったり、都内とはいえ一風変わった雰囲気が漂っている。


この季節の日暮れは早くて、アポイント先に向かう頃にはもう辺りは真っ暗である。なんのためにいまここを歩いているのだろう、早く家に帰りたいな、という気持ちをぐっと呑み込んで、商談に臨む。なんとも言えない気持ちを抱えて帰路に着く。2021年も、終わりが見えようとしている。

金利と物価。

米国でのインフレが激しくなってきている。一昨年ハワイに行ったときも既に、物価が日本より高いな、、とは感じていたものの、いまはそれよりももう一段高いのだろう。日本人にとって海外旅行なぞ本当に夢のまた夢の代物になってしまうのかもしれない。それ以前に、どこの国も社会に余裕がなくなっているいまは、ビジネス出張であれ、観光旅行であれ、むやみに海外に行くのはリスクが高い。


これだけインフレがひどくなると、利上げを進めていかざるを得なくなる。日本以外のどこの国も金利は上げていくことになるだろう。そうなれば円安が進むことになる。資源の大半を輸入に頼る日本にとってはまた購買力が下がっていく。本当ならば日本も痛みを恐れずに利上げをしていくべきなのだろうが、おそらくそれは難しいのだろう。


暗い話ばかり書いたが、明るい話もある。もう一度日本が観光立国になるのは間違いないだろう。そして、米中対立のなかで製造拠点としても再び良いポジションを築くのは確からしそうだ。アフターコロナがいよいよ本格的に動き出しそうな気配がしてきている。

内向き。

次の次の日曜が投票日とは思えないくらいに、選挙戦は盛り上がっていない。テレビで討論番組をチラッとは見たが、どこの党もバラマキしか考えておらずうんざりしてしまった。とはいえ、大多数の有権者がバラマキを求めているからこそ、これを掲げると票が取れると見込んでいるからこその公約なのだろう。誰も彼もが長期的な目線を持ち得ておらず、目の前のことしか考えられないんだろうなと思う。


中国ではエネルギー問題が深刻化し、不動産バブルもいままさに弾けようとしている。かの国もまた、経済発展から取り残された数億人の農民戸籍の人々の恨みが、大陸中国の国家経済を、ひいてはグローバル経済全てをひっくり返そうとしている。中台問題もきな臭くなってきている。そして欧米もまた、ひどいインフレに悩まされ、またCovidの後遺症が社会のそこかしこに残っている。気候変動への関心もかつてなく高まっている。


有事はここからも続くであろうはずなのに、なんとも内向きで、のんびりとしたムードが漂っている。そして、なかなか旧来の価値観も変わっていくことがない。おカネをベースにした社会もそろそろ卒業すべきだとは思うのだが、自分も含めてなかなか抜け出せないでいる。あるいは強制的に意識を変えざるを得ないイベントが、どこかで起こるのかもしれない。

訃報②。

(昨日の続き)突然に人生の幕が下ろされたこの無念さはあるだろう。一方で、彼自身、さまざまなことで苦しんでいるようにも見えた。表向きは楽天的で、なにもかもが首尾良くいっているように見せる人ではあったが、内面では葛藤していることは自分にも伝わってきていたし、過去の言動に縛られているように見えたこともある。また、期待されている役割を演じ続けるために無理をしていた面も少なからずあったと思う。


これを言うと本人には失礼にあたるかもしれないが、いまは、そうした現世でのプレッシャーから解放されたのかもしれない。とにかく、ゆっくりしてほしいと思う。


現世で屈辱や挫折にまみれるくらいなら、早々と人生を終えたほうがまだマシだ、という考え方もある。一方で、どんなに辛い人生となったとしても、この世で生き続けることには意義がある、という考え方もある。どちらも尊いものだ。


同じように、人生を終わらせるのに、早すぎるとも、天寿を全うしたもないのだと思う。だから、伝えたいのは、これまでの感謝と、しばしの間サヨウナラということだけだ。

訃報①。

かなりお世話になった先輩の訃報に接する。これまでも、学校の同級生が亡くなったり、という経験はあったが、毎週のように最近までやりとりした人が突然に亡くなる、ということは初めての経験で、動揺もしたし、ここ数日は事あるごとに彼のことが思い出された。もう更新されることはないであろう、LINEトーク履歴をまじまじと見返す。


ああ、もう彼の心臓は動いていないんだな、と思うのである。死んでしまえば、本当にそこでなにもかもが終わってしまうんだよな、という身も蓋もない気持ちを抱いている。いま目の前でなんのために仕事や日常生活を頑張るかというと、この先の人生をより良いものとするためという答えになるのだが、では突然に人生が終わってしまうのなら、いまを必要以上に我慢することもないのだろうな、と思う。


仕事上のアドバイスももらったし、悩みごとを聞いてもらったこともあった。まだまだこれからも関係が続いていくものだと思っていた。それがここでポッキリと途切れてしまう、そんなことが本当にあり得るのだ。もし自分が死んでゆく立場ならば、どんなことを思うのだろう。(明日へ続く)