さぼり。

自分もあまり人のことは言えないのだが、この2年間は「コロナさぼり」とでもいうものが日本社会に蔓延していたと思う。命が大切だ、健康が大事だ、というお題目は確かに意味はあるのだが、コロナという言葉さえ出せば免罪符のようになんでも許された時代であったし、それを逆手にのんびりとする、内に籠る傾向が加速している。


またこれでオミクロン株の感染が加速して、これ幸いとまた休眠する人が増えているように感じる。閉じこもっていても生きられるようにお国やらがおカネを配ってくれるわけでもないし、もしそれが可能になっているのならば、どこかでそのツケを払わなければならなくなっているのは間違いない。そして、そのタイミングは思ったよりも早く来ることになるのだろう。


日本はどんどん置いていかれることになるし、ゲームの種類は大きく変わっている。過去積み重ねたものはほとんど無価値になると言ってもいいのかもしれない。残酷だけれども、変わることができないのなら退場してもらう他ない。

イカゲーム。

イカゲーム」をみた。ストーリーがシンプルで分かりやすい、というのがまずいい。世界どの国の人がみても直感的にストーリーが理解できるからこそのヒットだと思う。それだけではなくて、何度見返しても新しい発見もあるのだろう。


残酷なシーンも多いし、社会の理不尽さを感じさせられることも多い。なんというか、東アジア的な価値観の世界を煮詰めていくとこうなるんだろうな、という感じもある。最終的に生き残り、勝者になったとしても喜びもなく、茫然と毎日を生きていることにはえもいわれぬ思いがある。


黒幕のおじいさんの言葉も味わいが深い。おカネがあっても人生はつまらないものである。事業をなして既にひと財産を築いた人が、それでも新しいことにチャレンジし続けるのは、それが人生でいちばん楽しいからである。そうやってチャレンジし続ける人こそが成功を掴み続ける、というこは皮肉な話ではあるが。。


ラストシーンだけはちょっとわからない感じだった。あれこそが次に続いていく伏線なのかもしれないが、無理に伏線を張らず回収しきってしまったほうがきれいだったようにも思う。

過剰と過少。

コンプレックスを抱える人の姿をよく見てきた。もちろん自分にもコンプレックスはある。こんなはずじゃなかった、という思いもある。


コンプレックスをこじらせてしまうと、組織のなかでの人間関係や、プライベートの交友もうまくいかなくなるので、ほどほどにしておくべきなのだが、自分で飼い慣らせる程度のコンプレックスは持っておいたほうがいいと思う。コンプレックスすら持てないほど粉々にプライドを打ち砕かれているような人も世の中にはいるのだ。


こてんぱんにやられてしまうと、自分からなにか意見を言おうだとか、創意工夫をしようだとか、そういう気持ちもなくなってしまう。そうなると、人生は人任せ、自分でコントロールすることを放棄してしまう。それは本当に悲しいことだと思うし、プライドを粉々にしてしまうような人間、組織がまだまだこの世界に存在することは、罪つくりなことだと思う。自分のコンプレックスを満たしたいがために、周りの人を攻撃したり、ことさらに貶めようとするようなことも、人間としてやってはいけないことだと思う。もし、そのような攻撃に直面したら、ああこの人は自分のコンプレックスから、こういう行動原理に至るのだな、と慮ってあげることしかできない。

苦境。

ここ数年お付き合いしている人がいま苦しい状況に陥っている。突き放した言い方をすれば、彼自身の自業自得でもあり、見通しが甘いせいとしか言いようがないのだが、それだけで潰れて終わっていく人でもないはずだ、という思いもまたある。


彼自身は自分の欲のために動いている部分が多いのだろうが、結果的にいろんな人の人生を支えて、いろんな人の思いを託されて生きているような形になっている。だからこそ、神さまは彼を見放すことなく、いつか一発逆転の機会が与えられるのではないだろうか、と僕は信じている。ただ、その機会が訪れるまではまだしばらく苦しい時間帯は続くのかもしれない。


僕には到底耐えられないようなプレッシャーを日々受けながら、彼はいまも生きている。キレてなにもかも投げ出しそうになりながらも、崖っぷちのところをなんとかくぐり抜けている。あきらめなければどこまでいっても道はある、という言葉の意味は、彼のためにあるのかもしれない。


他力本願ではありつつも、彼にトンネルの出口があることを願っている。そのためにも、目の前のひとつひとつのことを丁寧に対応していってほしいと思う。

物欲。

昨年の秋に洗濯機を買い替えたので、家電量販店のポイントが貯まっている。なかには期限付きのポイントもあるもので、なにか買わないと、と考えてお店に足を運ぶ。なにか買い替えるものはないかなあ、と思って店内をぐるっと見回すものの、特に思い当たらない。


もちろん、家には購入から10年以上経っているものもあるし、新しくしてもいいなあ、と思うものもないわけではないけれども、まだまだ使えるのにあえて買わなくともよいなあ、10年前と比べてもそんなに機能は変わっていないなあ、と思うものが多いのである。


なかには新しいものが出ればどんどん買いたい、という人もいるのだろうが、世の中の大半の人はこういう感じなんではないだろうか。モノを丁寧に使えば、なににおカネを投じたいかとなるとそれは食べもの(食べものは明らかに値段があがってきて、なんとかならないものか、と切実に思う、ポイントで食べものを買えたならいいのに)になり、衣服(衣服はまだ、安くてしっかりしたものがあふれている)になる。実際、こういう環境のなかで、家電メーカーが苦戦を強いられるのは想像に難くない。

ゆめまぼろし。

「ドキュメント72時間」は新年も飛ばしている。初回は伊東市にあるゆめまぼろし展覧会というテーマパークが舞台。テーマパークの珍奇さもさることながら、経営しているおじさん(おばさん?)の生きざま、人生観に強く惹かれる。なんだかんだいって自分も、退廃的なものが好きだし、朽ち果てていくものをそのまま自分の見えないところに追いやってしまうことには戸惑いを感じる。


たとえモノであっても、人の人生のように、そのモノが歩んできた時間というものがあると思うし、時間をまとってモノも姿形を変えていくのだと思っている。だから、自分のもとにやってきて、また自分のもとから去っていくときが来るまでは、一緒にいる時間をエンジョイしたいと思っている。


何度もこのテーマパークに通う人の心象風景にも、共感するものがある。みんな、どんな人生を歩んで、ここに通うようになったのだろうか、そんな側面まで描いてくれるこの番組が好きだ。


こういう価値観もまた、自分がやってきた仕事につながっているのだと思う。自分だからこそできる仕事を、これからもやっていきたい。

カネよりヒト。

急速な感染拡大、身近でも感染者が出てきている。おそらくは今月末にかけてピークを迎えるのだろう。なにかとバタバタすることが多いかもしれない。


しかしながら、オミクロン株は、Covidで騒ぎ続ける最後のタイミングになるのではないか、という気運が日々高まっている。中国はオリンピック開催を控えてなんとしてでも感染を食い止めるために、かなり無理に社会活動を制限している。これが経済活動にも深刻な影響を及ぼし、いま感じているレベルではないほどのインフレがこれからは起こることになるだろう。


カネを刷ることはできてもヒトを刷ることはできないのである。ただでさえ東アジアは少子高齢化に喘いでいる。いくらカネを蓄えて老齢期に入ろうととも、それだけでは生きていけない時代がくるのは目に見えている。そうしたときに大事なのは、自分さえよければ、の気持ちで生きることではなくて、おカネだけではない人のつながりを絶えさないことだと思う。そして、おカネがたとえなくとも楽しく生きていける方法を見出して、あまり先のことを考えず、日々と向き合っていくことだと思う。