仕事熱心。

仕事熱心な人には何種類かのタイプがあると思う。


ひとつは、仕事を通じて得られる収入が増えることがなによりのモチベーションという人だ。要はカネだという人だ。逆にこういう類の人は肩書きには意外と執着しないし、既に100もらっているものを110に増やすために1.5倍の労力を費やすことも厭わなかったりするので、ある意味では勤勉なのかもしれない。


次に自分が手柄を立てたい、権力を掌握したい、という人だ。自分と関わりのありそうな分野にはなにからなにまでクビを突っ込み、自分の実績としてカウントしようとする。自分の持ち場を侵食されることに異常に敏感になる。ただ、このタイプの人は逆に金銭欲はやや低めだったりする。


最後に、クライアントや組織や部下の成長に力を尽くすことのできる人だ。このタイプの人は説明不要だろう。そして、上述の3タイプのなかで、長期的に愛されるのが誰か、というのも説明不要だろう。


ま、みんな違ってみんないい、んだけどね。

稀代の勝負師。

昨今の香港のことを見ていて思うのは、いま孫正義はなにを考えているのだろうか、ということである。


ソフトバンクグループは、単なる通信事業者を超え、いまや投資が本業のようなものである。そしてそのビジョンファンドでは、人権問題を抱えるサウジアラビアからの出資を受け入れ、大きな含み益を保有するに至ったアリババから、ジャックマーを取締役として招聘している。さらにはファーウェイ製品を基地局に設置している。米国から目をつけられ、叩かれても仕方のない最右翼にいるのは間違いない。


孫正義はここでハシゴを外されて、ソフトバンクグループを猛烈な逆風にさらすことになるだろうか、それとも、この時流を読みきって次の手を打てるだろうか。僕は後者であると信じたい。彼は単なる政商でなく、自由を重んじる社会を創り出すことにコミットする起業家であるはずだからである。ファーウェイの二の舞のようなことは無いと信じたい。

保存機能。

ビットコイン100万円の大台を回復した。まだ一進一退という感もあるが、今回はじわじわと持続的な上昇につながりそうである。


facebookが仮想通貨の発行をリリースしたことも追い風になっている。この「Libra」が越えなければならない壁は厚そうではあるが、それでもこうした国家に紐付かない通貨の存在感は増していくように思える。


いま世界ではどこの国家も財政赤字に苦しんでいる。公的サービスを削って緊縮策を採ることは、政治的な抵抗からハードルが高い。この政策の行き着くところは、中央銀行が結局より多くの法定通貨を刷ることによる解決しかないだろう。


そうなると、どこかでインフレ傾向がはじまり、法定通貨が通貨としての価値の保存機能を失いはじめる。そうなったときに、人々は株や不動産や現物資産(ゴールドなど)と同様に仮想通貨にも資産を移すことになるだろう。いくつかのメジャーな仮想通貨はその受け皿として価値を増していくように思う。

戦友。

前の職場で何年か一緒に仕事をしてきた「戦友」が会社を去ることになった。先日あいさつに来た。


お互い20代半ばから切磋琢磨してきた。喧嘩をする時期もあったし、遠ざける時期もあったし、彼を陥れるようなことをしてしまったこともあった。いろんなことがあったけれども、今は全てを乗り越えてニュートラルに付き合えていることが嬉しい。ひとつの時代だったのだろう。


これからはずいぶん立ち位置も変わってしまうけれども、彼とはいい意味でライバルでいたいと思っている。表向きは彼のほうが(押し出しの強さもあって)いろいろと目立つ仕事をしてきたが、僕も負けないように自分なりに刃を研いできたつもりだ。そうして負けじと刃を研いだ経験がいまの自分の血肉となっている。そして、これからも離されないように、自分もまたいい仕事を積み重ねていかねばならない。


13年という歳月の長さ、彼が積み上げてきたものに敬意を表して、お疲れさまと言いたい。

親と子②。

(昨日の続き)結局のところ親だって他人なのだ。考えていることも違うし、なによりも生きていく時代が違う。子どもは親を選べないけど、別に選び続ける必要もなくて、手放すこともできるのだ。無理に互いの考えていることをぶつけ合って傷つくよりは、なあなあのままで血縁関係のみ意識をしながら付き合っていくこともひとつの解なのだ。


母の日や父の日のプレゼントに添えるメッセージは、毎年ほぼ定型の文章の域を出ない。我ながらもうちょっと気の利いたことを書けばよいのに、とも思うが、普段はくだらないことをつらつらと書いているくせに、こういうときはなにも文章が出てこない。まあでも、それはそれでいいのかなと思う。


もしかしたら、両親が老いて余命いくばくもなくなったら、これまで自由にさせてくれてありがとうくらいのことは言うかもしれない。まあ、ちゃんとそう言えるように、胸を張って真っ当にもうしばらくは生きておかねばならない。

親と子①。

僕は両親とは仲は良いのだが、深く掘り下げた話をしたことはほとんどない。家族三世代で旅行をしたり、お盆や年末年始などは楽しく過ごしているが、よくある、父親と息子で2人で飲みに行く、などということもやったことがない。たぶんこれからもないだろう。 そんなことで良いのかなあ、などと思った時期もあるが、今になってみると、まあ家族といってもそんなものだ、無理に話さなくてもいいものだ、という境地に達するようになった。 親は親で僕にたいしてこんな風に人生を歩んでほしい、という願望は持っていたのだろうが、僕はことごとくその願望には従わずに人生の選択をしてきた。親としては不満に思う部分もあったのだろうが、もう30代も後半に至ってはなにも言うことはなくなった。それはそれでいいんじゃないか、という思いに至ったのだろう。そして僕は、親の言う通りの人生を歩まず、なにもかも自分で選択してきて、本当に良かったと思っている。(明日に続く)

香港のこと②。

(昨日の続き)今まで僕は香港のことを、中国とひとつながりになった金融センター、だと認識していたが、それは改めなければならない。経済発展をある程度犠牲にしてでも、そこに暮らす人たちの人権や自由、民主主義を守る、という思いを持ち、その思いをデモという形で表すことのできる人たちの国家なのだ。そして、それらの価値観は日本人が大切にすべきものでもある。いま香港で起こっていることは、ひょっとすれば、近い将来のうちに沖縄で起こることかもしれないし、はたまたその先には東京で起こることかもしれない。


傍観してしまえば、(ハリボテかもしれないが)経済力を盾にやり込められてしまうものになってしまう。陰謀論を唱えるつもりもないが、日本の一部マスコミの報道姿勢も怪しくなってきている。いつもはよく騒ぐ市民団体も今回の件についてはほとんどダンマリである。


この先何度も大陸中国に押し込まれることもあるだろうが、民主主義の正道として、日本は香港を応援してほしい。