師走と。

さあさあ、12月のオープニングである。去年のいまごろも、いよいよ12月だ、などという節目の思いを抱いて迎えた記憶があるが、今年はまた格別の感慨がある。きっと1日いちにちがまたたくまに過ぎていくのだろうが、ひとつひとつ丁寧にやり過ごして、大晦日を迎えたい。街はインバウンド受け入れがまだ本格化していないにもかかわらず、押し合いへし合いである。あまり消耗してしまわないように、スケジュールもコントロールしていきたい。

 

★★★

 

今年もいろいろあったが、なによりも人づきあいがかなり変わった1年であった。いままでの自分であれば、長年付き合った人との関係を断ち切ることに躊躇してしまっていたのが、それが今年はかなり消え去ったと思う。

 

年月が経てば、人は変わる。誰しも、個人差はあれども、適切なタイミングで一線を退くことは、なによりも致命的なミスを犯さないために必要なことである。昔は、家督を譲る、という言葉があったが、理にかなっていたのだろうなと思う。

湿度と調子。

生温かい日。地下鉄にも冷房が入っている。今年の冬もそこまで寒くならなさそうだ。

 

進めようとしていたことがいろいろとハプニングがあって停滞している。こんな時は自分がジタバタするよりは、流れに身を任せて、今まで後回しにしていたことをサクサクと前に進めるタイミングなのだと受け止めて淡々と仕事をする。

 

調子がいいときにちゃんとやるのはもちろん当たり前だが、調子が悪いときにもいつも通りに、その日にやれることをやる、というのは大切なことである。どんな日でもコツコツと積み重ねていれば、ハプニングやアクシデントがあったときに、まあ今日くらいはのんびりやってもいいか、という気持ちを持つことができる。これが、普段からサボり気味であれば、手を抜きたい日に挽回せざるを得ないこともある。

 

性格なのか、のんびりすることは性に合わない。いつも、せかせかと予定を詰めてそれを追いかけている。もうちょっとゆっくりとひとつひとつのことを掘り下げるべきだとは思ってはいるのだが、なかなかスタイルを切り替えられないでいる。

奇跡とスワン。

サッカー日本代表2戦目はあえなく敗戦であった。1戦目と同じように、かじりついて見るわけでもなく、他のことをしながらだったり、お風呂に入りながら見ていたのだが、気の抜けた感じで、1戦目の後半のあの勢いはどこにいったのだろう、という感じである。もう一度、3戦目で奇跡が起こることを望んでいる。

 

★★★

 

そうこうしているうちに、大陸中国がたいへんなことになっている。ウルムチでの火災事件をきっかけに、昨日はいたるところの都市でデモが起こり、新宿でも集会が行われたようだ。むろんこれが即体制の転覆につながるとも思えないが、とにかくいろんな人が、リスクを犯してでも声をあげるようになった、ということは確かである。

 

ブラックスワンが近いうちに来るのでは、と言われている。その震源地は、Covidと同じく大陸中国になるのだろうか。3年近く前に始まった狂想曲は、いまここで第二ステージに入ろうとしているのか。騒ぎすぎず、静かに状況を見守る。

リスク感度。

11月も末日が近づいてきて、年末進行という感じ。Covidも話題から消え始めて、久しぶりに師走のドタバタ感のある年末になりそうである。仕事としてやりきらなければならないモノもあり、健康に留意して走り抜けたい。

 

★★★

 

ウチの子もそうなのだが、Covid下での子どもの発達に関しては恐ろしさを感じる。休日は野球をしているので、そこではマスクを外して活動できてはいるのだが、平日は本当にきっちりとマスクを着けている。学校等で指導されている、ということももちろんあるのだが、本人たちの習性として既に身についてしまったものなのだろう。

 

マスクだけではなく、やたらとアルコール消毒をしたり、肌と肌でふれあってコミュニケーションを取る、ということが極端に減っている。このような子ども時代を過ごしたことが後年になってどういう影響を及ぼすのか、ということを考えはじめると、空恐ろしいものがある。言葉の遅れとそれに伴う知能の発達の遅れ、対人関係を築く能力の不足など、どうなってしまうのだろうか。子どもたちが1番の犠牲者だと心から思うし、大人たちはこの落とし前をどうつけるのだろうか、と思ってしまう。

解散式。

野球チームの1年間の活動を締めくくる解散式、そして懇親会。また来月には納会や忘年会もあるのだが、チームとしての活動のひと区切りはここまでになる。

 

もう今年は何度も同じようなことを言っているような気もするが、子どもの成長を間近で見られる本当にいい機会になっている。いつの間に、こんなこともあんなこともできるようになったのか、ということを、細切れで見るのも良いのだが、四六時中一緒にいて、できるようになった瞬間に立ち合えるのはなんとも幸せなことである。

 

そして、そんな子どもの活動に、力を注いでいる大人がたくさんいる、というのもまた素晴らしいことである。勝つ、という瞬間、そして野球を通じて心身ともに健やかに成長する瞬間をつくりあげるがために、相当の時間を割く、ということの意義を身をもって体感したのが今年だ。

 

偶然の産物だけど、そうやって目の前にやってきたことを、特に疑問も持たずに素直に取り組んでみたら道が開けたのがこれまでの人生なので、乗りかかった船、最後までやってみるだけだ。

豊か、美しさ。

きのうも朝も早よから遠出。奇しくも、20年前くらいに住んでいたエリアである。20年経っても、あまり風景は変わらない。もしかするとあと20年経っても変わらないのかな、そうするともう60歳になっているのか、などとひとり夢想しながら、朝日に照らされた田園風景をゆく。

 

目的地は、日本家屋、といっても30年前に建てられたもののようで、まだ古ぼけた感じはしない。昔子どもの頃に行った、田舎の親戚の家のように、段ボールに詰められた野菜やら、米やら、銘菓が並べられている。なかには、何年も放置されているであろうものもある。

 

モノがあふれて豊かな時代だと思う。ただ、モノが溢れすぎて、人間がそれをコントロールできない時代だったのかな、とも思う。これからの時代はモノがだんだん稀少価値を帯びてくる時代になってくるのかもしれないが、少ないものを大切に使う、別の豊かさのある時代であればよいな、と思う。

 

田園地帯のこの季節は、たまらなく美しい。

戦うときの要諦。

祝日なのに、しこしこと仕事をしながらワールドカップを観戦する。ドーハのスタジアムからは、懐かしい「おーにっぽー」のコールが聴こえてくる。Covidの時代になってから久しく聞いていなかったものだ。日本国内でもスタジアムでの声出しはまだほとんど許されていないので、一周まわって新鮮な感じがする。

 

ドイツとの一戦は全く期待をしていなかったので、先制をされた時点でああやっぱりな、という気持ちを抱いていた。前半終了間際の2点目がVARでノーゴールになり、そこから流れは変わったのかもしれない。後半は緩めることなく攻め続けて、見事に逆転を呼び込んだ。

 

下手に退かずに攻め続けること、そして誰もが無謀だと思っていることでも、諦めずに冷静にチャンスをうかがうこと、それを大切に相手に立ち向かうべきだ、ということを教訓として受け取った。そして、若いうちから世界に揉まれるなかでメンタリティを確立することがいかに自分の力を高めるか、ということをよく分かった。