factor.

週末は御殿場で買い物をして、新東名を走って帰ってきた。新東名は走路が広く、路肩も一車線分以上はあろうかというゆったりとしたつくりで、スピードを出していても充分に隣の車線を走る車との距離が取れるので、何よりも心に余裕をもって運転ができる。その後帰路に(旧)東名を走ったが、側壁との距離が近く非常に窮屈に感じた。側壁やガードレールが煤けたねずみ色になっていて、インフラとしての古さを否が応にも感じさせられる。

★★★

最近、ビジネスにしても、試験にしても、恋愛にしても、成功するか失敗するかの境目、勝負の分かれ目は、本番の前に既に大勢が決しているのではないか、と考えるようになった。戦う前から気持ちで負けてしまっていれば負けるのは当然だし(だからこそ、スポーツではしばしば精神力を鍛えることを目的に厳しい練習に取り組むことがあるのだろう)、よしんば負けるはずはないと自分で思っていたとしても、客観的にみれば負ける要素が見えてしまうこともある。逆に、能力的には絶対的不利にあるような状況でも、成功する為の気持ちを切らさないことと、勝つための要素を手放さずに努力していれば、結果的に勝利や成功を手に入れることもできるのだと思う。そのような勝利や成功はしばし「奇跡」などと言われたりするが、奇跡なんてものはもともと存在しなくて、わずかな勝利の可能性を極大化すべく積み重ねた努力と精神力の結果でしかないのだと思う。

負ける要素や勝つ要素を見極めることができれば、成功を手に入れられたり勝負強くなるはずなのだが、なかなかそうはいかない。(僕も含めて)たいていの人は、その要素に真正面から向き合うことを避けがちだと思う。勝つ要素はこれだ、と分かったとしても、その要素を満たすために必要な努力や精神力の大きさに恐れをなして、無意識に見て見ぬふりをしてしまう。もしくはもう少し自分が取り組めそうな(楽そうな)方法でその要素を手に入れられないかと考えてしまう。安きに流れてしまうということは、結局のところ、そこまで心から勝ちたい、成功したいと思えていないということなのだと思う。

勝利や成功を手に入れることのできる人は、そのためにどんな要素が必要かということを見る目が備わっていて、なおかつその要素を手に入れるために自分をコントロールできる人(ないしは楽しみながら取り組める人)なのだと思う。

しかしながら大前提として、勝利や成功を手に入れることがイコール幸福や自己肯定感につながるわけではない、ということも忘れずに書いておきたい。