よき人。

ひとつひとつ、淡々と続けていく。

学生の頃は無意識のうちに、「善き人」たちの集団にもまれて過ごせば、善き方向に自然と導びかれていくものだと信じて行動していた。それはほとんどの選択肢において正解だったのだけれども、いつしか「善き人」のなかで切磋琢磨しながら生きていくこと、もっと言うと振り落とされないように歯を食いしばってついていくことに疲れてしまった自分もいた。だから、意図して自分のいる環境に変化をつけてみたりも試みてみたけれども、それはそれでどこにいても一定の疲れは生まれるものだし、どこにいても得るものと失うものはそれこそトレードオフのように存在しているのだと身に染みて感じられるようになってきた。

自分の息子にも同じように「善き人」たちの集団のなかで育ってほしいし、そうすることでのメリットは大いにあるとも思うけれども、いつかはそのレールを自分で外して、自分の好きなように生きるタイミングが訪れるだろうし、それを否定すべきでもないのだと思う。自分で選んで食べるその味は苦いことも多いし、こんなはずじゃなかったと思うこともあるのかもしれないが、それも含めて学びである。