儀式とリズム。

人生は『儀式』と『リズム』に満ちている。

朝目覚めてしばらくすると、BS放送から朝ドラのオープニングテーマが流れてくると一緒に唄う。たいていは自分流にアレンジして替え歌にして唄う。今クールはなんと振り付きである。そして先に妻が仕事に出掛けていく。お出かけのキスは、、ない笑

朝の電車のなかではだいたいスマホとにらめっこしているのだが、途中で必ず電波が途切れる区間がある。そこでやみくもにリロードしようとすると、なかなか電波が回復しづらくなる。なので、その区間に近づく前に、前もってとって置いたオフラインの記事を読むようにする。発車メロディ、抑揚のきいた車掌の声、線路の継ぎ目を渡る車輪の音と反復される揺れ、電車はいつものパターンに包まれている。

仕事で大事な電話をかけたり、重要な人と会ったりする前には、給湯室で(外ならば、セブンイレブンやホテルなどの清潔なトイレで)冷たい水で手を洗う。身を浄めることで落ち着いて臨めるのだ。逆に大事なことが終わった後や夜退社する前に、お疲れさまの意味を込めてお湯で手を洗うこともある。1日に3,4回は意味もないのに手を洗っている。

昼食はたいてい外で摂るが、相当偏食である。というのも毎回同じものを食べている。牛丼、カレー、天丼、まぐろ丼、蕎麦、ラーメン、1ヶ月から長い時は数ヶ月くらいのスパンで品を変えながら、同じものを食べる。とはいっても、場所によっては店を選ぶ余地がないこともままあるので、本当に毎日ずっとというわけではないのだが。

そして帰宅、自転車を漕ぐ夜道は人通りもほとんどないのでこれまた歌を唄って帰る。これも数ヶ月スパンで変わる。

妻との掛け合いはプロレスのようだ。お約束のように僕が負けるプロレスだ。僕だって男なので、本気を出せば勝てる(かもしれない。たぶん。いやこれは負け惜しみでもなんでもなくて)。でも僕は負ける。ラリアットが飛んでくるとわかっていてそこにふらふらと立ち上がり、もろに喰らっては吹っ飛ぶプロレスラーのように。そもそもプロレスにおける勝ち負けはたいして大事なことではない。

そして、取り憑かれたようにiPhoneをのぞき込み、誰のためにもならない文章を打ち込む。

そうやって、自分なりの儀式で、自分なりのリズムを保つことで、流れていく時間のなかで自分の場所を確保する。儀式もリズムも、生きていくなかで欠かせない大事なことだ。