震災の記憶。

さっき震度1の地震が起こって、胸がドキドキした。また、1月17日が近付いている。

当時僕は小学6年生で、中学受験を控えていた。1月15日の日曜日は確か、中学受験シーズンの皮切りとなっている、奈良の帝塚山中学の試験日だった。京阪神の中学受験生の腕試しとなっている試験だったと思う。もとより私立に行くような家庭でもなかったので、純粋に試験慣れの意味で受験した。暖房がやたらに効いている狭い会場だったことを覚えている。翌16日は成人の日の振り替え休日だった。そして、17日の火曜日には小学校で、その後6年間通うことになる学校の願書に同封する内申書をもらうことになっていたように記憶している。


17日の朝、地鳴りのような音が遠くから聞こえてきたかと思うと、気付けばいきなりジェットコースターが一気に下りはじめるような感覚が押し寄せてきた。家全体が揺さぶられている。僕の寝ている布団のすぐ側には子供服を詰めたタンスがそびえたっていて、家と共に揺れていた。タンスの側にできるだけぴったりとくっついた。タンスの側にいれば、もしタンスが倒れてきたとしても、怪我はしないだろうととっさに判断した。隣に弟が寝ていたが、庇う余裕はなかった。自分がいかに助かるかということに必死だった。大阪は公称震度4となっているが、これは気象台が地盤の非常に固い上町台地の上にあったからで、低地特に僕らの住んでいる神戸寄りのエリアでは震度6弱震度6強だったと言われる。

やがて揺れは収まった。停電している。冬の大阪は7時近くにならないと夜が明けない。ラジオを付けると、京都・彦根震度5と報じている。震源は琵琶湖のあたりかな、と思った。この時点では神戸からの震度速報は入ってこなかったのだ。やがて、神戸が震度6(後に7と訂正)と報じられた。夜が明けてからJRや地下鉄の駅に行ってみたが、当然電車は全て止まっていた。完全に倒壊している家はなかったが、ところどころ家の壁が崩れていたりした。


そして一番の戦慄を覚えたのは、電気が復旧してテレビをつけてからのこと。神戸市内に入り込んだ取材の車が先ずは三宮の駅前で呆然と布団にくるまっている人たちを映しだした。みんな無表情だったことが印象に残っている。そこから車道を走りながらカメラは、崩れた商店を映していく。上空に飛んだヘリは、横倒しになった高速道路や、橋げたが崩れて地面にしりもちをついた鉄道や、いたるところから上がる火の手を映していく。そのあとのことはあまり覚えていない。