千と千尋の神隠し。

金曜の夜にも放映されていたけれど、このあいだ、人に薦められて『千と千尋の神隠し』を生まれて初めて見た。実は今まで見そびれていた。

薦められたときに、「映画の世界は千尋がたどった精神世界」というイントロデュースを受けていたので、すんなり世界観を捉えることができた。


僕も、年末年始や予定のない休日にたっぷりと睡眠を摂ると、鮮明な夢をみることがしばしばある。そうでないときで何か心配事があるときに夢を見ることもあるけど、両者の「夢」はどこか性質が違う。前者の夢は、たいてい冒険譚になっている。なにを目的として冒険をしているのかはいつもうまく思い出せないけれど、いつも途中で目が覚めてしまう。目が覚めても、続きが見たくて、もう一度眠りの世界に戻ろうと試みる。うまく眠れて夢の続きをみられることもある。うまく眠れないこともあるけど、それはそれで心はすっきりしている。

「眠る」ということは身体を休めること以上に、脳を休めることや、自分の精神を洗濯する効用があるのだと思う。自分が起きている時にどれだけセルフケアをしようとしても、どこかで自分に嘘をついたり、自分の虚像を作ってしまうので、本当のセルフケアは自分が眠っているときにしかなされないんじゃないかと思う。そしてそれは自分の精神世界に真摯に向きあうものであるからこそ、目が覚めたときにはその内容を都合よく忘れてしまうようにできているのかもしれない。起きているときの自分が本当は認めてしまいたくない内容かもしれないから。


千と千尋』からだいぶん話がそれてしまったけど、僕はこの千尋がたどった精神世界の話が、自分自身の精神世界へ遠く働きかけてくるきっかけになるんではないかなと感じた。なにかそういう働きかけを自覚したときに、僕は腰の後ろのあたりが熱を帯びてくる。