ハイブリッド。

もう長いこと、リモート勤務をメインにして仕事をしている。オフィスで仕事をするのは週1-2日くらいで、それも3時間以内であることが多い。自分自身の特性もあるのかもしれないけど、おそらくはこれ以外のスタイルは今後も取りづらい。

 

意味なく朝のラッシュ(最近は4月ということもありこれまたひどい)に巻き込まれて消耗するのは本当にもったいない。あと、家事やら育児やらのイベントがあるので、完全出社しながらそれらを回すとなると、しわ寄せ、後回しにしたことを必ず夜中などに拾いにいかねばならない。昔の人はそういう努力を積み重ねてきたのだろうなあということがよくわかる。

 

結果としていろんなことをバランスよくまわせているので、自分にとっては本当にありがたいし、本来注力すべき営業活動にも時間を割けている。思い返してみれば、以前は週に3-4日営業をすると、必ず1日くらいはオフィスで作業をする日を挟まなければ諸々が消化できなかった。今ならば、それを自宅での細切れ時間で処理することで難なく対応できている。そんなことは、わざわざ出社しなくともよかったのだ。

 

一方で、体力は落ちているのは否めない。まあこれは、本来であれば疲弊する必要のないことをカットしているからこそなので、喜ばしいことではあるのだけど。

西域。

すっかり円安になって、若者はおろか大人であっても海外旅行には行きにくい世の中になってしまった。とある方が西チベットへの旅行記を載せていて、たまらなく懐かしい思いが蘇ってきた。

 

新疆ウイグル自治区のこの20年を思い返すといろんなことがあった。この言葉を使ってよいのはわからないが、着実に、漢族との同化は進み、旧市街はあとかたもなく再開発されて綺麗になった。街のいたるところに「中国夢」というスローガンが、昔の行儀しい看板ではなく、インスタ映えするようなビビッドなオブジェとして登場し、日本の下町などよりもよっぽど綺麗である。これが国が発展するということなのだな、ということをスクリーン越しにも感じる。

 

もちろん、中国の人口は既に減少トレンドに入りはじめている。上海などは景気減速が著しい。かつての日本がそうであったように、「最も良い時代」は終焉しつつあるのだろう。そうなれば、その時代に築いたインフラをいかに丁寧にメンテナンスをしていくか、が重要になる。

 

西域の街はどこもキラキラしているが、そこに至るまでに流れた血と、これからについて思いを馳せる。

友だち②。

(昨日の続き)それでは、これから、もしくはあと数年もすると、友だち関係というのはどうなっていくものなのだろう。いつか、打算や損得を抜きにして、またプライドやエゴも捨てて、昔の友人や、新しく知り合った人と付き合うことができるのだろうか。

 

少し上の世代の人と話すと、人によっては、長い時を経て、また学生時代のような友人関係に戻るという話も聞く。けして、多数派でもないのかもしれない。50代だとまだまだ第一線であるがゆえに、変な意識が働いてしまう。60代はまだら模様。そして70代になるとかなりリタイヤした人が増えてきて、ようやくニュートラルな心境になれるのかもしれない。これは自分ひとりで成し遂げられることでもないし、本当に稀有で、僥倖なことなのだろう。

 

社会もどんどん変化しており、一定の年齢になったからといって悠々自適な生活を送れるわけでもなくなってきているのも確かなのだが、いつかそんな関係の友人がまたできたらなあ、、と思う。

友だち①。

あれ?気づいたら友人ってどこにいるんだっけ?という、41歳のわたしである。臆面もなく「親友」と呼べる人はいなくなったなあ、、というのが率直な状況である。。

 

毎日のようにこまめに連絡を取っている人はいるし、交友関係が狭いわけでは全くない。いろいろと深く結びついている人もいるし、会社の枠を超えて長年可愛がってくださる人もいる。ビジネスのなかでも打算ではなく面倒を見てくださる人もいる。でも、なんだか友だちというには当てはまらないような気がする。

 

利害関係をゼロにしてフラットに付き合える人がいなくなったのかもしれない。どんなに懇意にしている人でも、少しはビジネス上の目論みが入り込んでくる。新しく会う人も、自分にとってメリットがあるかどうか、考えないわけではない。それを友だちと呼んでしまうほどの図太さも自分にはないのである。

 

昔からの知り合いでも、かつては友人と呼んでいた関係であっても、少し疎遠になっていることもあるし、久しぶりに会ってみても、どこかでビジネスとつながらないかしら?と思ってしまうのは、自分のポジションの変化もあるし、職業病かもしれない。(明日に続く)

パーソナル。

少し前に、隣の部屋に新しいご家族が越してきた。なんだかんだで前のご一家は海外赴任?などで全くの不在の時期もあったが、7年間まるまる住んだものと思われる。

 

改めて、生活音など気にしなければならんなあと思い直す(ただ、一定期間で忘れてしまう)のだが、いまのマンションはことのほか静かではある。わが家がどうかはわからないのだが、周りの家からの話し声などはほぼ聞こえてこない。構造上のものなのか、住人がみな配慮しているからなのか。

 

一方で、仕事場や、仕事上の付き合いのなかなどでは大声で話す人も散見される。たとえば、大陸中国やインドの人たちは明らかに声が大きい。人種によって、また人によってもそれぞれパーソナルスペースは異なる。日本人の大多数が、おしとやかに過ごしているのは間違いないし、そういう人たちを相手にサービス業をするのはラクなものである。日本の低価格なサービスは、顧客側の善意に立脚していると言ってもいい。

 

訪日インバウンド旅客の増加によって、サービス業の価格が引き上げられているというのは、単に彼らがカネ払いがいいということに加えて、こういう受け入れ側の手間の要因もあるのは確かである。

にんげん。

水原一平さんの訴追がなされ、この一連の騒動の真相が明らかになった。本当のところはもうわからないのだけど、いま発表されたことが既成事実であり、これを所与のものとしてこれからのコトが進んでいくのだろう。

 

水原氏のここまでの行動も驚くべきものであるし、長い間給与に全く手をつけていなかった(だからこそここまでコトが発覚することもなかった)大谷翔平もまた尋常ではない。彼はとことん金銭には興味がないのである。なんという組み合わせ、コンビだったのだろうかとは思う。

 

そして、ギャンブルにのめりこむ、感覚が麻痺してしまうということの怖さを改めて感じる。SNSなどもそうなのかもしれないが、ギャンブルなども、この21世紀、生身の人間にはまだ早すぎるツールなのかもしれない。

 

世の中、進歩というか進化が激しくなりすぎて、ついていけない人間が増えてきているのは明白であるし、そのスキマを利用したビジネスも増えてきている。人類はどこに向かっているのか、どこかで相転移が起こるような気もしてならないが、、

かお。

少し前に、15歳でプロ野球選手になり、引退後は通訳の仕事をしている人の半生をつづったコラムを読んだ。彼の現在の顔写真も見た。いい顔をしている。挫折もあっただろうけど、全てに感謝をして、全てを糧とすることで人生を歩んできた男の顔をしていた。35歳でこんなにいい顔をしているのだから、あと5年や10年もすればもっともっと渋さも出てくるだろう。

 

ひるがえって自分の顔は最近かなり丸くなってきている。体重が増えているのだから仕方ないが、緩さが顔に出てしまっているような気がしてならない。オンライン会議も多いので、以前に比べると格段にわが顔を見つめる日も多いのだが、二重アゴにならないように顔の角度を気をつける日々である。そろそろフェイスラインも気にしたほうがいいゾーンに入っている。

 

顔、そして表情ばっかりはごまかしが効かない。どんな気持ちで普段過ごしているか、心のうちがそのまま表情として固まってしまうのだろう。いつまでも笑っていられる人生でいたい。