おげんしょう。

「汚言症(おげんしょう)」という単語を生まれてはじめて耳にした。なるほど、そういう病気が世の中にあるのか、と。

そして、自分の中の悶々としていたふるまい、癖のようなものに名前がついた気がした。

もちろん、本当に深刻な症状で苦しんでおり、社会生活もままならないような人からすれば自分は全然軽いものなのだろうが、そういう衝動にかられることは日常的にある。幸いなことに自分はほぼ100%コントロール可能で、我慢すべき時に我慢することはできるのだが、定期的にそういうワードを吐き出すことで衝動をまぎらわす行為は必要である。自宅やホテルやオフィスなどで一人きりになった時に、深呼吸をするかのように言葉を吐き出して自分を保つ。実際にそういう行為ができると、心が軽くなるというか、胸のつっかえが取れるような気持ちになるのである。おそらくは死ぬまで付き合っていかなければならない病気の一種であり、プライベートスペースが確保できない生活がもし数日続くなら、自分は少しばかり気が狂ってしまうのだろう。

これ以外にも自分自身にはいくつか、人にはなかなか言えないような癖がある。ある意味ではADHDのようなものなのかもしれない。逆にこれを生かして仕事や私生活で能力を発揮できる部分もあるのだろう。病気は見方を変えれば個性であり、個性を生かして人の役に立つこともできるのだ。

人はだれしも多かれ少なかれ病気を抱えている。完全な健常者はこの世の中には存在しないと言ってもいいのだろう。それでいいのだと思う。