『アメリ』

10月に入ったというのにここ数日夏が戻ってきたかのような陽気で、歩いていると汗をかく。電車の空調も夏場のように稼働している。来年はもう少しましな気候に戻ってくれないだろうか。カレンダーと気候の感覚がずれると、身体というよりも心の健康状態が不安定になる。

★★★

9年ぶりくらいになるだろうか。『アメリ』を見た。時が経てば同じ作品であっても大きく印象が変わる。

アメリの登場人物は、みななにかしらの癖を抱えている。それはややもすれば「障がい」という言葉に置き換えられ得るものである。現実の世界だってそうだ。なにもかも完ぺきな人などいなくて、みな自分が与えられた癖と付き合いながら、生きている。癖を隠そう、消そうとするのではなく、うまく折り合いをつけようとしている。

そして彼らのふるまいは、不完全であっても人間は生きていけるし、不完全だからこそむしろ人と人とが結びつくのだ、ということを教えてくれる。人は長所よりもむしろ、欠点や癖に惹かれあい、それがむしろ魅力になるのだ、ということに、改めて気づかせてくれる。アバタもエクボ、完全無欠な人間には魅力がない、なんていうのは本当の話だったのだ。

しかしながら、現実の世界はますます個々人の癖が認められなくなり、失敗が許されない方向に進み過ぎた。今はその揺り戻しが起こるポイントに差し掛かっているのではないかと思う。均一性や正確性が求められた時代から、欠点や癖も含めた個性が尊重される時代へ。そうした個性も含めた個々人がお互いに認められられる時代へと舵を切ったと信じたい。

社会というシステムのなかで人間は生きるようになり、システムの一員として分業することで、生活の質は向上してきたように見える。けれども、それと引き換えに失ったものも確かにある。それが何だったのか、アメリという作品がいくつものシーンを通じて教えてくれる。人間が人間らしさをもっとはじけさせることへの讃歌が唄われている。

9年前に見た時には、正直言って映像のつくりが綺麗で、天真爛漫でちょっと変わった主人公の恋愛物語、という印象しかなかった。それが今回は、周りの脇役たちが抱える癖と彼らが歩んできた人生を想像し、感情移入することで力をもらった。9年間で自分になにが変わったのだろう。

加えてもう一点気づいたのは、愛情表現の豊かさ。何気ない場面に背筋がぞくっとするようなエロさを感じる。これも昔には理解できなかったこと。また幾年月経てば、新しい発見があるのだろうか。