摂理。
ゆっくりしようと思って、出先でくつろげそうな日程を組んでいたのに、見事にタスクが重なりその目論見が崩れてしまった。まぁ人生こんなもんである。
おそらくは、自然の摂理としてそのようにできているのだろう。それならば乗っかってがむしゃらにやり続けるしかない。
もう無理だ、と思った時に自然と助けの手は差し伸べられるのであろう。
経営するということはすなわち人の問題と向き合うということである。作業ならば人やAIに代替されうることができるが、面と向かって、目の前の人のモチベーションをつなぎとめて、なんのために仕事をしてもらうのか、持ち場を守ってもらうのか、安心して働いてもらうのか、という意識を持ってもらうのは、人でしかできないことである。
今までのいろいろな経験がいまになって生きていることを感じる。全てには意味があったのだ。だから、これから出会う「なぜいまこのような役回りがまわってくるのか?」というような機会にも、きっと意味があるのだろう。