書店で、少し時間があったので、時刻表を手に取った。むかし、それこそ小学生から中学生の頃はよく読んだものである。いまの子どもたちは紙の時刻表を手に取ることもないのだろう。乗換案内などはガジェットですぐに検索することができるのだから、時刻表の本来の目的は失われたと言っていい。
それでも、時刻表は趣味の産物や、愛好家によって支えられて刊行され続けている。紙の時刻表を開くと、載っている情報量も多いし、アプリなどでは見つけられなかった発見をすることもある。そして、これは紙の時刻表に親しんだり、旅行の経験が豊富だからこそなのかもしれないが、紙の上に記載された数字の羅列、駅名の羅列を見るだけで旅情がかきたてられる。旅の計画を立てるなら時刻表を読んでみる、というのはいい方法だ。
紙の時刻表をまともに読むのは数年に一度である。ずいぶんと多くの路線が廃止されてしまったことに気づくと同時に、ずいぶんと多くの観光列車が走るようになったことにも気づかされる。地方の鉄道が移動の手段から、移動そのものを楽しむ対象物として変わりつつあることがよく分かる。都市部ではそう変わらないだろうが、地方では既に鉄道の持つ意味が変わってきている。