保守と楽観。

自分自身、保守的な見立てをすることが多くて、なおかつ心配性だなあ、と思うことが増えた。これはもともとの職業病みたいなところもあるのかもしれない。仕事のパートナーなどはもっと、踏み込んでいこうとするし、将来のことを楽観的に考えている。


保守的な見立てをしておくことで、ダウンサイドリスクに備えることは大切である。見立てが悪いほうに外れた時に落胆しないように最初から予防線を張っておく、という言い方もできる。とはいえ、最初からそういう考え方をしていると、攻め込めるときにとことん攻め込むこともできず、果実を得られない、そこそこのところで引っ込めてしまう、ということも往々にしてあり得る。


とはいえ、保守的なものごとの進め方に本当に意味はあるのだろうか、という思いも日に日に高まっている。どうせいつかはガラガラポンになってしまうのだ。いま手堅い成功にこだわるよりも、失敗してもいいからとにかくチャレンジすることのほうが大切だ、という考え方もある。突っ走れる間は、突っ走りたい。