父と子。

今年ものめり込むように見てしまう、大河ドラマ。第17回では源義高の悲劇が描かれたが、それにもまして、主人公北条義時の魂が濁っていくさまが描かれていた。辛い処断を繰り返しつつ、家に戻ってわが子と接するその姿、自分も同じような気持ちを抱いたことがなかったかと言われれば嘘になる。


長い人生、胸を張ってできる仕事、時期だけではない。悔しさに、虚しさに砂を噛みながら、目の前の糧のために本意ではないことに手を染める場面もある。きれいごとだけでそれを糾弾できるものでもない。


本作でも頼朝と義時の子の代までが描かれる。脚本としても、それぞれの人物の因果までもが描かれることになるのだろう。史実や伝記では明かされていない部分にも、いま播かれている伏線を回収するように、ストーリーが足されていくものと思われる。


人間、自分ひとりの人生だと思っていても、自分のふるまいが周りの人に少なからず影響を及ぼしていることが多い。因果は子の代にもつながってゆく。「許してくれ」と義時に言われた後の泰時が執権としての地位を確かなものにしたことには、父と子のリレーがなし得たことだと思いたい。