お手のもの。

週末から高校野球、春のセンバツがはじまっている。お兄ちゃんの目線から始まって、同世代の目線、そして最近は息子に近い目線で見るようになってきた。こうして晴れの舞台に出られた選手の後ろには、小さい頃からバックアップしてくれた両親と関係者がおり、それ以上に、そのようなバックアップがあっても晴れの舞台を踏めなかった、または途中で挫折してしまった選手たちがいる。どのプレイヤーの人生も結果を問わず素晴らしいものだと思う。


当たり前だが、甲子園に出てくるような選手たちは、バットやボールを自分の身体の延長線上として、まるで神経が道具にまでつながっているかのように使いこなすことができている。日々の鍛錬のたまものであると思うし、あそこまで自分の思うように道具を使いこなしてスポーツができると気持ちがよいだろうなあ、という憧れもある。


僕自身はそこまで極められたスポーツはなかったのだが、仕事では曲がりなりにもごくニッチな分野ではその境地に少しずつ至りはじめているのかな、という自負はある。自分の持ち場で同じように勝負していきたい。