ブルシット。

ブルシットジョブという言葉が最近とみに使われるけれども、それが生み出された背景が最近なんとなく分かるようになってきた。ガチンコで「稼ぐ」ことに自信の無い人が、それでも自分の存在感や居場所をつくるために生み出した仕事なのである。


我ながら強い言葉を吐いていることは認識している。僕自身もまた、ガチンコの世界で戦うことに気後れして、またそういう世界に身を置くことに疲れて、ブルシットジョブの世界に足を踏み入れたこともある。不安だからなおのこと、自分の居場所を守ろうと必死になって、自分のやっていることの正当性をアピールしたり、評価軸をぶらしたりする気持ちもよくわかる。


いつしか、わが国にはそういう人が増えすぎてしまったのかもしれない。本当は、かんばれば、ガチンコの世界で戦えるような人までもが、保守的になってしまい、ブルシットの世界にきてしまっているのかもしれない。みんながみんなそのチョイスをしてしまえば、必ず国は沈む。


しかしながら国は沈んでも、ガチンコの世界で戦うことを選んだ人の組織は沈むことはないだろう。そういう集団に身を置かなければならない時代がきている。