執着。

自分でもおカネへの執着の強い人間だと思う。4歳か5歳の頃だろうか、なにかのきっかけで「ウチにはおカネがないんだ」ということを幼心に大きく印象づけられ(実際は、父親は公務員だったので裕福ではなくともまあ普通の中流家庭なのだが)、そこからなにかとケチな人間になってしまったし、未だにおカネの上手な使い方とはほど遠い。


おそらくは僕の人生にとっておカネはけっこう大切なものなのだろう。人生を通しておカネをストックすることと、使うことのそれぞれと向き合っていくことになるのだろう。ちなみにおカネを得ることへのこだわり、ハングリーさはそこまで突出したものはないように思う。


それを考えると、これからの世の中でおカネの位置づけがどう変わっていくのか、見誤らないようにしたいと思っている。少しずついままでの「おカネ」の輪郭がぼやけはじめ、これまでにはない意味づけがなされたり、その実体を失っていったりすることになるのだろう。


今年起こったことは、執着を手放し、「足るを知る」の言葉を本当に心身に染み込ませるために与えられた気づきなのだと思う。