クリスマスがきた。
世の中には、今年の大量放火殺人犯のように「生まれてこのかた人に優しくしてもらったことなどなかった」という哀しい境遇にある人生を過ごしてきた人もいるけれども、たいていの人には、それぞれ幼少期から今に至るまでのどこかで「幸せな時間」を多少なりとも過ごしていると思う。人生は必ずしも順調にいくものではないし、むしろ大多数の人にとっては歯を食いしばりながら生き抜いていく時間帯が長かったりもするのだが、そんなときにも支えになるのは「幸せな時間」の記憶なのだと思う。そしてクリスマスなどはそのかっこうの機会なのだ。
なんとなくどこもかしこも浮ついた気分になる。もちろん浮かれているどころではない人もいるだろう。でもそんな苦境にある人、寂しい状況にある人にも、少しでも幸せに近づくチャンスが得られれば、それこそが主イエス様の誕生をお祝いするクリスマスのいわれそのものであり、イエス様が意図するところなのだと思う。