法事と家。

週末は法事であった。実家の一階、仏壇が鎮座している部屋に親族(といっても10人くらいだ)が集まり、子どもの頃から見慣れたお坊さんが現れて法要を行う。

子どもにとっては退屈な時間で、すきあらばちょこちょこと動き回ったり、「飽きた」などと言ってしまう。僕にとっては、読経の言葉を聞きながらも、ここに集った家族と親族のこれまでとこれからに思いを馳せる時間になる。

今回は三回忌だった。これから七回忌、十三回忌と進んでいくうちに家族のかたちはどう変わるだろうか。中心には誰がいるだろうか、もし自分が中心の役割を務めるのであれば、自分自身はそれに相応しい人間になれるだろうか、と考える。

現代社会において「家」の概念は希薄になっていくけれども、それでも「家」のつながりほどに濃いものはないのだろうなと、こういう機会に感じる。連綿と受け継がれていくバトンに比べれば、今年一年の仕事などはちっぽけなことに思える。もちろんそのような縛りから自由に生きたいと思う人もいるのだろうけれども。

少なくとも僕にとっては、「家」は自分の背筋に一本の大きな軸を差し込んでくれる大切なものだ。