ゴーイングコンサーン。

子どもがいる、もしくは配偶者がいると、多少なりとも自分の死後のことや、将来世代が暮らす社会のことに思いを馳せることがある。紛れもなく、自分の死後も世界は続いていくのであり、そのことを前提として行動は規定される(だいたいにおいては)。

ただこの国では、そうではないシチュエーション、高齢になっても独り暮らしを続けて、身よりも特にない人が増え続けている。そういう人たちにとって、自分の死後の世界のことはどう映るのだろうか。

もちろん、目をかけている甥っ子や姪っ子もいるのだろうし、この国自体が好きだという気持ちを持つ人もいるのだろう。そういう人もまた、自分の存在しない未来に向けて合理的に行動したり、資産をどこかしらに寄付するようなこともあり得るのかもしれない。

もしかすると、そういった人たちは、未来をイメージするわかりやすい対象物(子ども、など)がないがゆえに、自分が未来に向けてなにを遺すのか、より深く考えることもあるのだろう。それはこれからの時代を描くうえでひとつのキーポイントになるのかもしれない。