流れ。

ここ数ヶ月の東京都知事をめぐる動きをみていてつくづく思うのは、ものごとには流れがあり、流れを読めずに行動することは破滅を招くということだ。

舛添前知事の問題発覚とその対応からの辞任劇、都知事選への立候補をめぐる駆け引き、都知事選における与野党双方の流れの読み違え等々、その時々で流れが生まれ、その流れに沿ってものごとは進んでいる。

そしていまはいわゆる「都議会のドンたち」と新都知事の対決がクローズアップされている。これから、都議会のドンたちのこれまでの行動が白日のもとに晒されていくのだろう。対応を誤ればすぐに失脚までいきつく。少なくとも新都知事初登庁の際に起こったアレコレは、都議会のドンたちの首を自分で締める流れをより加速させる、まずい対応であった。

正直言って、これと同じような図式は「カイシャ」の世界でもよくみられる。それが良いとか悪いとか、ここでは言うつもりはない。流れを見極めることは、いまの時代では最も大切な能力なのかもしれない(これはけして空気を読むことを推奨しているわけではない)。