今さらながら都知事選を振り返ると、田母神氏が予想外に健闘していることに気付く。得票率12.5%、61万票を集めているのだ。掲げている政策はそれなりにまともながら、取り巻きの応援演説が問題発言の連発だったり、選挙運動期間中にこれ見よがしに頻繁に靖国に参拝して(必勝祈願?)いるなど、まさに極右と言うべき言動で突っ走りながらもこれだけの票を獲得し、もはや泡沫候補とは呼べないポジションに踊り出たことは、今後の政界に少なくない影響を与えるものと思われる。
61万票の内訳を想像するに、全てがネトウヨと呼ばれる人たちではないと思われる。田母神陣営がここまで極右な考え方を持っているとはいざ知らず投票した人もいるだろう。しかしながら、中道路線として候補者を選ぶならば、舛添氏を選ぶことも可能だったなかで、あえて田母神氏を支持しようとする人が相当程度いた、という事実が今回の選挙で明るみになった。都知事選だからこそ田母神氏は落選したが、国政選挙ならば少数政党として充分に存在感を示すことのできる勢力を持っている。
この事実をもって極右が台頭してきている、と判断する向きもあるが、それは違うように考えている。田母神氏がこれだけ得票を伸ばした背景には、左派に対する嫌悪感を持つ層が増えてきていることがあるのではないだろうか。
左派に対する嫌悪感とは、例えば原発なしでもやっていけるという机上の空論であり(段階的な脱原発は目指されて然るべきだが、即時脱原発によるエネルギーコストへの影響をあまりにも都合の良い詭弁を押し通そうとしている)、派遣法改悪やブラック企業に対する締め付けや規制論である(全くもって当事者のためにならない空想であり、規制を強化したからどうこうというものではない)。理想を振りかざしても、目の前の現実がすぐに良くなるわけではないことを身にしみて感じている人たちは、左派のふるまいに心底うんざりしている。また、一部マスメディアが左派寄りであることへのフラストレーションも溜まりつつある。その反動が、田母神氏への投票行動に流れたと考えられるのではないだろうか。
逆に、昨年の共産党が支持を伸ばしていたのも、自民党一極化に対して危機感を持ち、バランスを取ろうとする働きだったのだろう。社会の一方の極が暴走気味だったり、偏ったふるまいを見せるようになれば、もう一方の極にも人々の支持が集まるようになる。その極どうしの距離がだんだん遠くなりはじめているさまがはっきりと確認されたのが、今回の都知事選だったのだと思う。