昨日に引き続き、時折小雨の降る天気だったものの、きょうは東京の東側で花見。広い公園ではあるものの有名なスポットではなかったので、それほど混雑しておらず、桜の樹の下でゆったりとシートを広げることができた。
見上げれば曇り空と桜の枝。花見が桜の花を見ることを指すのは、桜の花が格別に素晴らしいというよりは、人間が桜の花を見る、という行為に格別の思いを込めるからであろう。ちょうど年度の区切りのタイミングでもあり、長い冬を越えたタイミングでもある。重ねる年月と自分の来し方を思うからこそ、桜を見る、という行為に意味が載せられるのだと思う。
そんなことを考えながら、子どもたちとたっぷりと遊び、両脚に疲労感を覚えて帰路につく。このところ精神的に浮かない日々が続いていたのが、少し楽になった。純粋に身体的疲労感を覚えることで、精神的疲労感は取れるものなのかもしれない。
桜の花を見て、思いをはせる余裕があることに今年もまた感謝し、来年も同じように思いをはせることができることを願う。