非言語。

産まれて、あしたで100日になる。

お風呂から上がって授乳を終えた後の1時間が、1日のなかで息子と2人きりで過ごす1番まとまった時間だ。たっぷり遊んだ日ほど、その後の最後の授乳のあとにこてんと眠りについてしまう。

抱っこをして揺らしたり、メリーで遊んだり、飛行機ごっこをしたり、遊びはいろいろとあるけれど、1番好きなのはベッドに2人で寝ころんでおしゃべりをする時間だ。話かけてくる息子の言葉を同じように返す。もちろん言葉はなくて、あーとかうーとかそんな声のやりとりだけれども、目を見つめあってそんな声を交わしていれば、言葉よりももっと濃密なコミュニケーションができているんじゃないかと、ひとり勝手に思ったりもする。

そう言えば自分の父親とは、どれだけの声と言葉を交わしただろうか。伝えていないことの方が圧倒的に多い。親と子の関係でも、知らないことの方が圧倒的に多い。

人間は多様な語彙を持つ言葉を習得したけれども、けして他の動物に比べてコミュニケーションの能力がすぐれているということはないのだと思う。ミスコミュニケーションや、思い込みからくる行き違いは珍しくないし、複雑な感情を持ってしまったがために大っぴらなコミュニケーションを阻害している一面もある。言葉のないコミュニケーションをしながらそんなことを思う。もしかしたら今が1番、親子で腹を割ってコミュニケーションができているのかもしれない。