欺瞞。

小学校の授業は中断され、教室のテレビが点けられた。ブラウン管には遠い西の国の空港で、朝の光のなかで微動にだしない戦闘機の姿が映し出されていた。停戦になるか、開戦になるかのタイムリミットが迫っていた。戦争が激化していくことが、自分の国にどのような影響をもたらすのか、幼い頭で必死に想像を巡らせた。画面の向こうには1人の人間も映っていなくて、まるで人類が存在しないパラレルワールドを覗き見ているようであった。

もう23年前の話だ。あの頃は米国が名実ともに多国籍軍を率いて世界の警察としてふるまっていた。そして日本はその多国籍軍に135億ドルを支援金として拠出した。支援金の拠出に応じなければ、日米関係に亀裂が走る、そうなった時に米国は血を流して日本を守ってくれるか、と時の外相は話していた。その頃、反戦運動はあっただろうか、支援金を拠出することに対する批難の声はあっただろうか。

世界のパワーバランスも、戦争の持つ意味も大きく変わった。日本のなかでの戦争に対する捉え方はどう変わっただろうか。ここ数ヶ月の集団的自衛権にまつわる議論を見るにつけ、23年前のことはどう総括されたのか、ぬるい欺瞞はなにも変わっていないのではないかと思ってしまう。