『男性論』

普段本を買うとすぐに読んでしまうのだけど、珍しく積ん読になってしまっていた一冊。

恥ずかしながらヤマザキマリさんのことは最近の映画原作料をめぐる騒動までは知らなかった。あの騒動(というか周りの一方的な誤解)の後、日経ビジネスオンライン上でのとり・みきさんとの対談を経て、彼女のことにぐっと興味が湧いてきた。

本の表題は『男性論』となっているが、内容は女性論、日本人論などにも広がっている。さながら彼女のこれまでの経験がぎゅっと凝縮されたような一冊である。それは返せば、彼女の歩んできた道のりがそれだけ濃いものであったということなのだと思う。

前半4章は表題通りの男性論であるが、その内容は多岐にわたる。家族の話、古代ローマの話、ルネッサンス期の話、そして彼女が興味を引く近現代の才人たちの話へ、男性論を切り口に話は広がっていく。古代ローマルネッサンス期の話を読んでいるうちに、一昨年フィレンツェやローマで見た芸術作品が甦ってくる。芸術作品は、その作り手の生き方にも光をあてることでまた新たな輝きをもたらすことになるのだ。またそうした話を紡ぎ出すことができる彼女が蓄積してきたイタリアやヨーロッパ各地での男性遍歴、生きざまを想像することで、この本はより厚みを持って読むことができるようになるのだと思う。

そういう意味では、人それぞれの男性論があるのだと思う。ただ彼女はその論を文章に落とし込んだり、絵として表現する力が優れており、なおかつ経験としても凄まじく厚みがあるということだ。彼女は別格だとしても、他の人が人生のなかでどう男性論を練りあげていくのか、この本をきっかけに知ってみたくなった。そして彼女がおよそ160ページをかけて具体的なエピソードをまじえて綴ってきた男性論は、第4章のラストで軽く1ページにまとめられている。ここがこの本のハイライトと言ってよい。

残りの第5章には女性論、第6章では日本人論とでも言うべき内容がそれまでの4章に比べるとあっさりと書かれている。それぞれ、彼女が半日本人、半外国人のような立場で生きてきた経験をもとに問題提起がなされている。彼女の言うとおり変わる必要があるのか、それとも今の現状には現状なりの良さもあって、その良さも大切にしていくべきなのか、というところはあるけれども、変わる変わらないは別としても、こういう立場から問題提起できる人が増えないことにはなにも始まらないのは確かなのだろう。