『トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか』

普段よく読む本とは少し毛色の違う本を読んでみた。

トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか (ヤマケイ文庫)

トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか (ヤマケイ文庫)

3年前の夏に起こった大雪山系トムラウシ山での遭難についてまとめられた本である。第1章「大量遭難」および第2章「証言」では、生存者へのインタビュー及び事故報告書をもとに、できる限り精緻に登山の経過が描き出されている。この2つの章については圧倒的にのめりこんで読んでしまった。遭難ものとしては新田次郎の『八甲田山死の彷徨』が有名ではあるが、本書の方が圧倒的にリアリティのある筆致になっている。収集されたデータやコースマップを何度も確認しながら、まさに自分がその場を歩いていたかのような気持ちになった。特に、行動不能者が出はじめてパーティーがバラバラになってからの、ひとりひとりの姿に関する生々しい描写(低体温症がもたらす意識混濁や奇行、参加者を置き去りにするガイド、行動不能者のそばで最期を看取る参加者、一度極限状態に陥りながらも回復に至るさま)、経過の描写から想像される参加者それぞれの身体と精神の状態に思いを巡らせていると、真夏の熱帯夜にもかかわらず寒気を感じる。まさに極限状態で人間がどのような行動をとってしまうのかが、残酷なまでに描かれている。普段200頁程度の新書であれば1時間程度で読み切ってしまうのが、この2つの章140頁を読みきるのに3時間以上を要した。

第3章「気象遭難」第4章「低体温症」第5章「運動生理学」では、今回の遭難事故について、テクニカルな見地からの分析がなされている。特に低体温症の章については、たまに登山をする者にとって、非常に勉強になる内容になっている。実際に起こった遭難をもとに、低体温症についてここまで詳しく分析が行われたのはもしかすると初めてではないだろうかと思う。

そして第6章「ツアー登山」においては、ツアーという登山スタイルの抱える問題について論じられている。本来自己責任で行われるべき登山の世界にツアーという概念を持ち込んだことによるひずみと、それでもツアー登山がなくならない事情について踏み込んで分析がなされている。この章で論じられていることは、ツアー登山のみならず、友人や家族連れで山に登る人がみな必ず考えておかなければならないことだと思う。

全体を読みながら、自分自身が経験したいくつかの場面を思い出した。山でのシーンだけでなく、準備段階のシーンもが浮かんできた。何を持っていくか、どんな情報を頭に叩き込んでイメージしていくか、山に入ってからどのタイミングで衣服を着脱するか、食糧や水分を補給するか、ルートの選び方、撤退するか進むか、登山は決断によって大きく結果が異なってくるスポーツそのものであることを改めて考えさせられた。ドキュメントと専門書の両方で高いレベルでまとまっている本だと思う。