『流星ひとつ』

流星ひとつ

流星ひとつ

藤圭子28歳、沢木耕太郎31歳。
わが家の夫婦と全く同じ歳の男女が、ホテルニューオータニのバーで心ゆくまで語ったさまが、全編会話形式で綴られていく。

誰かと飲みにいくならば、2人きりに限る。2人きりで濃密な会話に没頭する時、僕は意識がぐぐっと沈み込んでいく感覚に陥る。それはとても甘美な時間である。この本での2人は、僕が経験したことのないような深みに2人揃って沈んでいるように見える。そんな様を垣間見られる貴重な作品である。

★★★

冒頭のやり取りから、2人はほぼ初対面に近い状態であったことがわかる。2人はウォッカトニックを飲む。藤の引退に際し、ルポライターである沢木がインタビューをする、という立て付けであるので、沢木はインタビューらしき問いかけを重ねていくが、藤ははぐらかしてまともに答えようともしない。それで、途中から沢木もモードを切り替えて、自分のことを語り始める。そうしているうちに、藤の心がだんだん溶けていくさまが見てとれる。

僕は藤圭子という女性を、宇多田ヒカルの母親であるという立ち位置でしか知らない。今年夏に亡くなって初めて、若かりし頃は宇多田ヒカルに匹敵するような唄い手であったことを知った。そして、10代で絶頂を極め、早い結婚と離婚を経て、28歳で一線から退いた、というように両者の道のりが驚くほど一致していることにも驚かされた。本のなかでは、彼女の唄い手としての矜恃が、「心に引っかかる」という表現で語られている。

藤が亡くなった時の宇多田ヒカルのコメントに、母はずっと精神を病んでいた、という主旨のものがあった。真偽は知る由もないが、ただ、確実にこの本のなかの藤は、ドロドロとした芸能界にまみれながらも、みずみずしい感性を失ってはいない28歳の女性であった。この一夜において彼女は、ウォッカトニックの杯を重ねながら沢木に心を開いてゆき、やがて2人しかたどりつけない世界に沈み込んでいったのだ。

最終的に8つの杯を重ねながら、沢木はインタビューを続け、藤も話し続けた。最後の最後、沢木が藤に語りかけた言葉、あれは沢木から藤への一種の告白のようなものなのかもしれない。その言葉は宙ぶらりんになったまま(もしくはあえて沢木が記さなかったのかもしれないが)、藤はアメリカへと居を移す。

彼女の人生において、この一夜はどんな意味を持つものだったろうかと考えさせられる。沢木と藤、若さと円熟とが混ざりあう2人の一瞬の人生のクロス。そんな瞬間の輝きが、この作品には満ちあふれている。