輪廻。

いよいよ12月も折り返し。早くひと息つきたいのだがまだ大きな仕事が終わっていないのでじれったい。

★★★

僕らはとにもかくにも1年12ヶ月というリズムに振り回されて生きている。一年の計は元旦にあり、と言うのはともかく、年末となると忘年会や同窓会が立て込む。これに年賀状や賀詞交換会の準備が重なり、通常の仕事や身の回りのことに割く時間が削れていく。12月はみな忙しそうにしているが、その忙しさの中身の生産性は恐ろしく低い。

それでも、12月を見送って1月を迎えることには意義があるのだと思う。もう学校を卒業してしまって区切りの概念があいまいになるなかで、万人が共通して大きな区切りを迎えること、そしてそこで心を新たに未来に思いを馳せたり、親戚や昔の知人友人と会って過去を振り返ることにはきっと、一時的に生産性を落とすことに見合うだけの価値があるのだろう。

一方で、ここ十数年で年末年始が持つ区切りという意味が薄れてきて、単なる数日間の休暇に近づいてきていることも確かである。スーパーもデパートも元旦から営業するようになったし、テーマパークや娯楽施設も賑わっている。コンビニやファストフードが休むことはない。そんなわけで、三が日の街は非日常と日常が混じり合ったなんとも奇妙な雰囲気に包まれている。頭のなかではさぁ新しい一年だという気持ちになっているのに、日常は変わることなく前の年から続いているわけで、頭と身体が不協和音を起こしている感覚になる。

1年が一区切りだと思い込むのと、去年も今年も来年も何も変わらないと思い込むのとどちらが楽だろうか。僕は前者を選びたい。過去のことは過去のこととして一区切りを付けたほうが楽だ。未来に向かっていく荷物はできるだけ少ない方がいい。だからこそ、年内はあくせくと動き回って、ケリをつけるべきことにはケリをつけ、忘れたいことは忘れてしまえばよいのだ。そうして区切りをつけなければ、いつか自分自身が過去に押し潰されてしまうのだと思っている。どうせスケジュールに振り回されるのなら、思いっきりそのリズムに乗っかってしまえばよい。

移り変わる年は輪廻にも似ている。新しい年は、前の年の自分の行為を引き継ぎながらも、それ自体は全く新しいものとして生まれる。そうやって心新たにやり直すチャンスが与えられるのは、きっと人生にとって良いことだと思う。そんな小さな輪廻の繰り返しと思えば、今のなんとも言えないじれったさも、もっと大きな心で構えていられるはずだ。