山本太郎はキリストになれるか。

選挙が終了。大勢は予想通りだったが、東京選挙区で山本太郎が当選したのは予想外で驚きであった。反原発を掲げる他の野党候補が全滅に限りなく近いなか、山本太郎だけが当選したという事実は興味深い。

科学的事実に基づかない発言や、奇抜な行動が目立ち、僕はイメージだけで彼のことを嫌っていたが、昨夜の当選会見を見る限りは感情の抑制も効いていて、意外にもそれなりに好感を持つことができた。支持はできないが、東京都民66万人が確かに彼に票を投じたのだから、結果は結果として受け止められるし、選ばれた限りは参議院議員として6年間役目を果たしてほしいと思う。むろん、選挙違反による当選取り消しの可能性も残っているが。

しかしながら、山本太郎の当選会見の表情に、僕は一抹の不安を感じてしまった。当選を勝ち取ったことに1番驚き動揺しているのは他ならぬ山本太郎彼自身なのではないだろうか、と一目見て感じ取ってしまった。当選という事実を受け止めてはじめて、彼はその地位の重さを身に沁みて思い知ったのではなかろうか。名実ともに彼は、反原発派の言わばキリストのような存在となったのである。彼自身にこの状況を受け入れる覚悟があっただろうか。

選挙違反による当選取り消しが適用されなくとも、彼の前途は多難なものとなるだろう。彼は原発推進派を敵とみなして闘う意思表明を行っているが、本当の敵は反原発派のなかにこそあるのではないか。反原発派の期待を裏切ることを彼は1番恐れている。もし彼が現実を直視したうえで今のスタンスを崩すようなことがあれば、反原発派の失望は計り知れないだろうし、その時は彼自身の命すら危うくなるのではないか。キリストは重すぎる十字架を背負ってしまったのだ。

都民が山本太郎参議院に送り込んだことには意義があると思う。しかしながら、有り体に言えば原発立地地域から遠く離れた都市住民のお祭りによって彼は当選したのである。原発立地地域における選挙結果とその背後にある要因に目を向けているわけではない。原発立地地域の住民に対して、どうやって脱原発という選択肢を現実性のあるものとしていくか、そういった取り組みこそがこれから必要とされるのであろう。逆に言うとこれまでと変わらず都市住民だけでお祭りに興じているようであれば、日本における反原発運動はやがて人々からそっぽを向かれるようになる。

僕は反原発派ではないが、山本太郎には期待してみることに決めた。しかしながら彼が参議院議員という地位を得てなお、これまでと変わらぬいい加減な言動を続けたあげく、職を途中で投げ出すようなことがあれば、その時は反原発運動の全ての終わりなのだろう。