もやもや。

大人になればみなスマートに生きているものだと思っていた。そんな幻想をたぶん25歳くらいまで引きずっていた。でも、本当はそうではない。結局大人も好き嫌いで行動するし、気分が乗らなければサボりたくもなるし、苦手なものを目の前にすると脳の血流量が減少するような感覚に陥って足が進まなくなる。大人になったからそういったことが克服できるようになるわけではなくて、そういった場面を上手く回避するようにふるまうのがうまくなる、ということだけだ。それでもまれに回避できず我慢して立ち向かうこともあるが、そんなことを続けていると必ず心身の調子を崩す。上手く、いや上手くなくてもいいから逃げればいいのだと思う。

でもなかには逃げられないこともある。自分のプライドが邪魔をする。こう生きねば、という固定観念が邪魔をする。自分を良く見せたい、という気持ちが邪魔をする。それらに人生はどれだけ縛られていることだろう。

好きなことだけやって生きていく、仕事をしていくなんていう考えは甘いのかもしれない。そういう考え方でものごとを選択していけば、今は良くてもそのうち行き詰まるのかもしれない。でもそれならそれでいい、と思えるようになってきた。どう転ぶかわからない未来のために今を我慢するのは良くないと思うようになってきた。自分の好きなこと、取り組みやすいことだけやっていても、それなりに生きていけるんじゃないだろうか、最近そう思えるようになって、道が開けたような感覚になった。

今まで周りの人のことを気にしすぎていたことにも気付いた。人は人、自分は自分と割り切れずに比べてばっかりだった。そうしてくだらない自尊心を満たそうとしていた。結局それは自分に劣等感があって、その傷がジクジクと痛むから、別のところで優越感を探して埋め合わせをしようとしていたということだ。劣等感の原因と向き合ってあげなければならない。他のことからは逃げてもいいけど、これだけは逃げてはいけない。

と、いかにもスッキリしたようなことを口では言っていても、なかなか殻を破れないのが現実の大人なわけで、だからこそ誰もが苦労したり、業を背負ったりしているのだけど。

それなりの歳になってこういう文章を外で垂れ流すのは恥ずかしくもあるけれど、こうでもしないと掛け声倒れになってまたごまかしごまかし日々をやり過ごしていきそうになるから(現実にそうだったから)、とりあえず保存ボタンを押す。