反対の作法。

先日実家に立ち寄ったところ、大阪都構想についての勉強会のチラシがあった。関東のメディアではほとんど報道されていないが、5月には大阪都構想の是非を問う住民投票が行われるらしい。市議会議員や市民団体レベルでも活発に勉強会が開かれていると聞いた。

あくまでも僕は部外者であるし、今後大阪に戻る可能性も低いので、都構想については特段の意見は持っていない。ただ、ここ数年で市営地下鉄のサービスレベルは見違えるほど良くなったし、子どもの学力も向上していると聞く、もちろんいまの市長の推し進める施策の生け贄になったような人たちもいるので、諸手をあげていまの市長に賛同する気にもなれない。

かと言って、反対派のやり口も好きにはなれない。反対派の多くは未だに人格攻撃や好ききらいレベルの主張にとどまっているようにしか見えない。既得権益を手放したくない人たちは、その本音を隠したままで反対運動に加わっている。反対派は相当数に上るだろうが、反対派のやり口にうんざりした人たちが、都構想に消極的な支持を表明する可能性はそれなりにあるのではないかと、部外者ながらに思う。

反対派のやり口が拙くて、むしろ相手を利してしまっている、この構図はどこかで見たことがある。反原発運動だ。ものごとに反対したい時のふるまいとは、かくも難しいものなのか。