にんげん。

バタバタと月曜日の午前中の打合せを終えて、コンビニでおにぎりだけを買い込んで新幹線に飛び乗る。早出しなければ新幹線にも間に合わなかったはずだ。新幹線に乗って景色を見なくなったのはいつからだろうか。ルーティンのニュース記事をチェックして、夕方のアポイントの資料を読み込んで、襲いかかる睡魔に抗いきれずに意識を失って、そのうちに2時間半が経過する。秋の太陽が西に傾き始めている。

★★★

この週末、橋下徹の出自について書かれた週刊誌の記事のことについていろんな報道に触れた。

大阪府下の小学生はみな、道徳の副読本として『にんげん』という冊子が配付される。表紙はおどろおどろしい木版画だ。同和問題のことばかりが書かれているわけではなくて、障がい者のことや男女平等、いじめのことについても書かれている(しかしながら出版元は解放教育研究所である)。10〜15ページくらいの短編がいくつか入っており、国語の教科書の物語や図書館で借りる小説よりもはるかに、重みのある物語が書かれていた。おそらく他の地域に住む人が読んでみればびっくりする内容もなかにはあるのだと思う。小学生が読めば夢に出てきかねないような内容の本を、解放教育研究所からわざわざ大阪府が税金で買い取って、小学生に配布する。その経緯にどんな意図があるのか、それを小学生に読ませることによってどんなねらいがあるのかは未だもってはっきりとはわからない。ただ、大阪の小学生はみな、同和問題が存在していることをなんとなく理解して、むやみやたらに日常の会話で同和問題について口に出すことはなかった。それは暗黙の了解に近いものがあった。勉強ができるできないにかかわらず誰もが、こういった暗黙の約束ごとをよく理解していた。

それから時が経って、関東に来て不動産にかかわりのある仕事をするようになって久しぶりに同和という言葉に触れた。この地区は同和地区だからなかなか売買が難しい、とかそういう類の話である。大阪出身でない人であっても、同和地区のことを知っている人がいるのだな、と初めて気付いた。道徳の副読本で読まないとしたらどこから、誰からそんな情報を得るのだろうかと思った。そして、大阪以外の出身の人たちがいとも屈託なく気軽に同和地区のことを語ることに驚いた。

今回の週刊誌の記事にしても、そのような気軽さをもって書かれたのだろうか。それとも、同和問題はもはやこのくらいの気軽さで語れるくらいに風化しつつあるのだろうか。朝日新聞出版はそこのところをどう考えていたのか、きっちりと説明してもらいたいとは思う。なんにせよ、出自がどうのこうの、という時代はもう終わっていることは間違いない。