「書く」ことが好きということ、戦略的撤退について。
無人島に独りで取り残されて、どうしようもない時になにをするだろうかと考えてみた。
僕は文章を書くのだと思う。それがたとえ誰にも読まれることがなかったとしても。感じていることを文章にすることで、自分の心を落ち着かせる(それは仮初めの落ち着きでしかないのだが)のだと思う。文章を書くことは一種の自分に対するマインドコントロールのようなものだ。あるいはビョーキか。
やっぱり文章を書くことが好きなのだ。好きでこれだけ続けているのにこのクオリティで、なおかつクオリティを上げる努力もしていないのだが、書くことが好きなのだ。たまには書くことがないなと思ったりすることもあるけれど、しばらくしていればまた書きたいことが溢れてくるし、湧き上がってきた書きたいことをそのままにしていると、便秘のような心持ちになってくる。書きたいことが溜まっている時に立て続けに書いてアップすると、頭の中がスッキリする(一方で、頭の中でもやもやしていたことを文章に起こしてしまうことが、モヤモヤしていたことに無理やり結論付けしてしまうことになりかねない、というデメリットはある。事実、自分が書いたものを読み返すことがあまりない)。だから、書くことが億劫だと思ったこともなく、コンスタントに書き続けることができている。
誰に向けて書いているのかということを問われると、第一には自分のために書いているのだと答えることになる。自己満足の域を出ない。あえて自分以外の誰かを挙げるとすれば、奥さん(以前は彼女)に向けて書いている。なので、書いたことに対して反応があることはもちろん嬉しいけれども、たぶん全く反応がなくても僕は書き続けるだろうし、もしブログという形態が何らかの理由で禁止されたとしても、ノートかチラシの裏にでも書き続けるのだと思う。
ということで、僕は日々ごはんを食べて身体のなかで消化して外に出すかのごとく、日々感じたことを文章にし続けてきた。表現がいささか汚いが、まさにこのブログはそんな産物であり、それ以上でもそれ以下でもない。
お陰様で、ここ数年は生活のリズムが非常に安定していて、出すものはともかくとして、毎日美味しい「食べもの」をインプットできる環境に恵まれてきたし、それをきっちりと消化するための余裕を享受することができた。それはそれで大変ありがたい時間を過ごすことができたのだけど、ここでいったん少しの間インプットもアウトプットもぐっと減らしてみることにする。減らしてみた時に、どんなことを感じるのか、一度久しぶりに体感してみたくなった。
ということで、今月末でいったんブログをお休みにします。たぶん僕の性分からしてすぐに戻ってくると思うけど。