コーチング講座(7/23)雑感。

きょうは自分の内面の話になるのでいつも以上に抽象的な表現が多く、意味のわからない話が多いので読み飛ばしてもらって結構です。だったらなんで書くのか、という話になるけど、まぁ自分自身の備忘録という意味も込めて。

コーチングの講座に行ってきた。実は今年の年初にもコーチングのセッションを受けたことはあって、その際に自分がもやもやと考えていた方向性をある程度明らかにしてもらっていたのだが、その後震災等でいろいろと心の揺れや環境の変化などがあって(全くもってこれは言い訳にしか過ぎないのだが)、自分の方向性が見えにくくなってしまっていたので、一度その感覚を取り戻したいと思い、大人数での講座に参加してみた。こういう講座では面白い人とたくさん出会える、という副産物もある。

コーチングの講座を受けてみて、目から鱗が出るような表現で普段見えにくそうな概念をうまく可視化してくれたり、講座の内容とは直接関係のないところで自分自身のなかでひらめきが起こったりした。個人的に思うコーチングのポイントは、自分自身が根源的に持っている方向性や意思に触れることであり、それらのものはなかなか自分ひとりではたどり着けないところにあるからこそ、コーチングが存在する価値があるのだと思う。講座を終了して、いい感じで頭の中がもやもやとしていて、今まで頭のなかに沈殿していたなにものかがかき混ぜられて水のなかに浮かび上がっているような感覚に陥った。そのもやもやを粘土のように練り込んでいくとなにか確かなものがひとつできそうな気もするのだが、今の段階で無理にこねていくと、はりぼてのような成果物しか生まれてこないような気もするので、今の浮かび上がっている状態を感じながら、しばらくは様子をみておこうと考えている。得てしてここで他者から急かされると、今のこのいい感覚が台無しになってしまうのだ。

僕がコーチングを気に入っているのは、まさにここで「急かされない」というところである。コーチングは相手になにかを強要することがないし、「こうあるべき」「これは善い、これは悪い」という言葉を全く使用しない。相手がどのような価値観や考え方を持っていてもそれを肯定するし、それらに対して善悪や序列付けをしたりということが全くない。僕自身でもなかなか相手の価値観や考え方に対して一方向から判断を下しがちになってしまっている。気をつけたい。