『魔法少女まどか☆マギカ』。

遅ればせながら、『魔法少女まどか☆マギカ』(以下まどマギと略す)を見た。おそらくこれからも何度か見返して、その度にまた違った感想を抱くのだと思う。僕はアニメは普段一切見なくて、まともに見たのはエヴァンゲリオン以来なんじゃないかというくらいで、まどマギも表題だけ見れば絶対に見ることはなかったはずなのだが、時折僕のtwitterのTLで流れてくるまどマギ関連の断片的な台詞に徐々に興味をそそられて、見てしまった。見てしまうと途中ではもう止められなくて、昨日一日で最後まで見てしまった。最終回に向かうにつれて胸を掴まれるような感覚に陥ったのだが、果たしてどの部分が僕に突き刺さったのか、現時点ではよくわからない。冷静に見た人にとってはいわゆる「セカイ系」の創られた感動の寓話にすぎないのかもしれないが。

(→以下若干のネタバレあり)
とにかくまどマギ全編を通じて登場人物が望んでいることが周りにうまく伝わらず、敗北が重なっていく。そういう意味では、王道的な展開のアニメと一線を画している。その積み重ねのなかで裏切りや無力感や偽善などの人間の持つネガティブな感情について考えさせられるエッセンスが詰まっている。あと、エヴァと同じように、世界観や作品内で登場するもの(例えば「ソウルジェム」や「キュゥべぇ」)が何なのかあまり説明されていなくて、視聴者自身が想像を膨らませられるようになっている。

どんどん積み重なっていく敗北や伝わらなさ(見ていて噛み合わない感覚)は、最終回ではじめてガッチリと噛み合い、感動的なクライマックスシーンにつながっていく。少なくとも僕は非常に感動した。まどかとほむらの想いが噛み合ったことにも感動してしまったし、シーンの細かい描写に呑まれてしまった。

まどマギにはいくつかの名言的な台詞が出てきて、見ている僕自身の意識に都度引っかかってくるのだが、個人的に一番心に残っているのは「誰かの役に立てるようになりたい」というまどかの夢である。家族や群れに対する情や本能というのは他の動植物にもあるかもしれないが、こういった感情は人間でしか持ち得ないものなのではなかろうか、と思う。誰かの役に立つことで得られる満足感、それは自己満足なのかもしれないけれども、人間が生きていくうえで大きなエネルギーになっているのだと思う。

まどマギは大人向けの作品といわれているけど、より感受性の強い小学生や中学生にこそ見てほしい気もする。多少グロいのが見せられない理由なのかもしれないが。僕よりも感受性の強い人が見て、どう感じるのか興味がある。