悪手と失言。

格言と言っていいのかどうかわからないが、将棋には「駒が指から離れた瞬間に悪手に気付く」という言葉がある。その通り、自分が手を指した瞬間に盤上の景色が一変し、今まで必死に考えても見えなかったものが見えるようになり、自分が形勢を損ねてしまったことに気付くことが結構あるのだ。次に相手にあの手を指されればもう終わりだ、、と心のなかで悔やみながら相手が次の手を指すのを待つ時間は、忸怩たる思いが脳内に充満する。しかし将棋というのは面白いもので、少なくとも僕が普段指しているレベルの相手であれば、そういった局面で自分の予想した手を指してこない(相手もまた自身が有利になる手を見逃す)ことも少なくないのだ。

★★★

同じことが言葉にもあって、時に自分が言葉を発した瞬間に違和感を覚え、その後ひどく後味の悪い思いをすることがある。たいていは心が落ち着いていない時にふっと口をついて言葉が出てしまう(あるいは、メールやSNSで文面として放たれる)。悪手ならぬ失言というべきだろうか、その言葉を使う前には想定もしていなかった、相手の言葉の受け取り方に後になってから気付き、その後味の悪さが何日も、時には何年も残るのだ。自分が伝えたかったニュアンスからすると、この言葉ではなくこの言葉を使うべきだったとか、自分が冷静でなかったとか、反省は尽きない。そもそも、人を傷つけておきながらその自覚が自分にないこともたくさんあるのだろう。

同じように、相手の何気ない一言に自分が傷つくこともまれにある。相手もまた後味の悪さを感じているのだろうか、気付いてもいないのだろうか、と思う。たとえ気付いていなかったとしても、自覚なく発した言葉は、相手のみならずその言葉を発した自分自身の価値をも毀損しているのだと思うようにしている。ごくごくまれにであるが、極端にそのような自覚に乏しい人もいるし、逆にものすごくこの感覚が敏感な人もいる。

いろいろな思いはあるが、確かなのは将棋の対局で待ったが許されないように、一度放ってしまった言葉を取り消すことはできないということだ。後から後悔しても謝ったとしても、その言葉はいつまでも残り続ける。受け取った言葉よりもむしろ放った言葉が知らず識らずのうちに自分を縛り上げてしまう。意識しているとしていないにかかわらず、全ての言動は最終的に自分自身にはね返ってくる。