空調とこころと身体。

やはり節電なのだろうか、今年はいつもにもまして空調が抑えられている。加えて今年は営業に行くにもノーネクタイ、ノージャケットといういだたちが完全に定着した。比較的お堅い金融機関ですらこうなのだから、もはや毎日きっちりとネクタイ、ジャケットを着ている方が目立つ世の中になってしまった。僕自身は数日前から薄いハーフパンツをステテコ・トランクス代わりにスラックスの下に穿いているのだが、非常に気持ちがいい。工夫しだいで結構快適に過ごせるものだと思う。

★★★

ただ、空調があまり効いていない今の世の中が僕はけっこう好きだ。僕が小学生の頃を思い起こしてみれば、まだ実家にクーラーは1台(茶色くて年季のはいったもの)しかなく、真夏でも夕食を食べる時以外はスイッチをきっていた記憶がある。夏休みは区民プールにいって、真っ黒になるまで外で遊んで、生暖かい実家(当時はこども部屋もなかった)でうだうだした記憶がある。

はじめてクーラー漬けになったのは小学校5年生になって、中学受験のための塾に行きはじめた頃だろうか。夏期講習になるとクーラーの効いた部屋で朝から夕方まで授業をするのだ。そりゃあ汗をダラダラ流しながら鉛筆をかじっているよりは勉強もはかどるのだろうが、当時クーラーに慣れていなかった僕は身体がだるくなってしまった。暑い時は汗をかいたほうが健康にいい、10歳やそこらの子どもが1日中クーラーの効いた部屋で汗もかかず日焼けもせず、太陽光ではなく蛍光灯の光の下で問題と向き合っているなんて異常だろう、そんなことをしてまで中学受験しなくちゃならんのか、と幼心に思っていた。まぁそんな感じで受験勉強は休みやすみやっていた。

それから、中学・高校とほとんどクーラーを使わずに過ごしたと思う。大学受験の時ももわもわした熱気のこもった学食や空き教室で勉強していた記憶がある。手の汗でノートやマークシートがふやけたり(笑)。予備校の自習室などはなんだかクーラーがんがんで体力が吸い取られそうだったからあまり行かなかった。結果的に果たしてどちらが能率が上がったのかはわからないが。

筑波大学もボロい大学なのでクーラーのない部屋が多かった。学生寮はいわずもがなクーラーなんてなかったし、アパートに移ってからも扇風機しか使わなかった。銀行でも外回りが多かったので、基本的に泥のように汗をかいた。そう思うと夏場に空調の効いた世界で仕事するようになったのは4年前に転職してきてからが初めてと言っていいかもしれない。僕の体内時計は、夏になれば汗をかくものだというようにインプットされた状態からまだまだ変われていない。

「夏休み」という言葉が存在するのは本来、夏は暑くて能率が落ちる時期だからいっそのこと休んじゃいましょう。という意味だったのではないか、と思う。それを空調という魔法の機会で無理やり環境を整えて働いたり、勉強したりしているのが、今の社会の姿なのではないかと思う。そしてそれは僕には不健康な姿に見えて仕方ないのだ。空調をゆるめて身も心も溶けそうなくらいにダラダラするのは、夏しかできない醍醐味だと思う。