食生活①。

15歳くらいまでは食の細い少年だった。身体もガリガリだった。朝ごはんなどはお茶碗に軽く一杯の白飯を食べるのに30分くらいかかっていたし、給食もなんとか時間ギリギリに食べ切るような有様だった(コッペパンのうち一つは大体持ち帰っていた)高校生になって、運動量の多い部活をやるようになって、初めてかきこむようにご飯を食べられるようになった。

 

それからは基本的にはよく食べるほうの人間だったと思う。定食屋さんなどに入れば大体は大盛りを注文していた。空腹を抱えたまま眠るということがなかなかできないので、眠りにつく1-2時間前にそれなりの量の食事を摂ることも多かった。それでも働きはじめるまではガリガリのままで、社会人になってようやく少し中肉に近づいてきたが、太るなどということとはずっと無縁でやってきた。

 

25歳になり、30歳になり、35歳になり、ずっとしっかりと食べてきた。特に白米をよく食べてきた。周りの人が糖質を気にしていても、構わず大盛りの白米、もしくはおかわりをして、それでなんともなかった。(明日に続く)

マスクド。

今週あたまよりマスク着用が自由化されている。出張でいくつかの都市を回ったが、マスク着用率は95%くらいだろうか。全然先週までと変わっていない。自分自身も花粉がたくさん飛んでいる時期なので、まだマスクは手放せない。日本人はもともと心配性であり、また相手を気遣う文化もあるので、この分だと真夏になってもマスク着用率はまだ50%くらいを保つような気もする。

さあマスクを外して新鮮な空気を思いきり吸うぞ、という意気でもあったのだが、いざ自由にやっていいですよ、となれば逆にマスクを外すのを躊躇してしまうのも正直な気持ちだ。自分の口元や歯を見られるには若干の恥ずかしさがあるし、マスクの付けすぎで口の周りの肌荒れもある。マスクは鎧のようなもので、いい具合に顔を隠すことができて心理的に楽になる良い部分もあったし、相手に唾が飛んだり、口臭を感じさせると申し訳なくなってしまうな、という気持ちもある。

というようなヌエのような思惑はあるものの、運動をする際や黙々と作業をする際にマスクを外しても良いのはありがたい。

めぐる。

「パパ友」との間で子育て論についての話題になる。もちろんまだ自分も含めて誰しもが子育ての真っ最中であり、なにが正解なのか、ということは分からない。もしかすると齢70を超えた自分の両親ですら、子育ての答え合わせをするタイミングではないのかもしれない。そういう意味では、何歳になっても親から子に伝えられること、影響を与えられることはあるのだろう。

ただひとつ明確なのは、原因があって結果がある、ということである。子育てのスタイルは当然のことながら各家庭ごとに違う。そのまた親から遺伝的に受け継いだものもあれば、反面教師として学習した要素もある。子どもに対する声掛け、眼差し、同じ空間で過ごした時間、それらひとつひとつが積み重なって、子どもの人格が形成されるし、何十年か経ってその因果が親に巡りめぐってくる。それが良いことなのか、悪いことなのか自分には判別がつかない。ただただ、巡りめぐってくるということだけは確かだ。

因果は因果として、淡々と受け止めるものなのだろう、と思っている。

大一番②。

(昨日の続き)試合は良い意味で予想を裏切って、初回から畳みかけての会心のゲームとなった。なによりも子どもたちも、大人たちも雰囲気が良かった。気持ちが乗るだけで、子どもたちは今まで思いもしなかった力を発揮できるのだということに月並みながら感動した。主役は子どもたちであり、でも大人たちの蔭ながらの支えもなくしては掴み取れない勝利なのだと思う。

勝つことはもちろん大切だけれども、少年野球には勝つことよりも大切なことがある。その要素を無下にしないで、なおかつ勝つということが達成できるのはなんとも痛快なことだと思う。子どもどうしの付き合い、大人たちとの付き合い、大人どうしの付き合い、いろいろとはあるのだけれども、無理なことはせず、仕事と同じように、淡々と冷静に、バランスを取って目の前のことを積み上げていきたい。

夜は祝勝会となった。所用を済ませてから参加したので、途中からにはなったが、自分自身話したいことがたくさんあって、日付が変わってずいぶん経つまで、酒屋のビールケースに座り続けた。月曜の朝、眠いけれども、充実感はある。

大一番①。

日曜日は子どもの野球の大切な試合。土曜日はぐっすりと寝て、日曜の朝は自然に目が覚めた。金曜の夜は全然眠れなかったので、その反動もある。爆睡した翌朝独特の身体のだるさがあって、鏡を見ると目の下にクマができている。ほとんど一睡もできなかった日の朝のクマと、その次の日にぐっすりと眠れた後のクマは性質が違うのである。ぐっすりと眠ることができたならば、翌朝は身体を動かしているうちに自然とクマが取れてくる。

早朝から身体を動かす。土曜日は季節外れの暖かさで22度まで気温があがり、熱中症になった子も多かった。一夜明けてみな元気にまた出てきている。うちの子もずいぶん体力がついたと思う。結果を出してほしいとまでは望まない。とにかく、良い時間を仲間と過ごしてほしいなと思う。

クルマで移動をして都内に出る。都心部で野球の試合をするのは初めてのことである。人工芝で綺麗に整備された少年野球場。まだまだ小学校低学年なのに、こんなに整ったグランドで野球ができるというのは本当に恵まれていると思う。グランドが確保できてなに不自由なく野球ができることは当たり前のことではないのだと、子どもたちも大人もしっかりと嚙みしめるべきなのだ。(明日に続く)

運を引き寄せる。

WBC、日本は予選ラウンドを4戦全勝で1位通過。準々決勝ではイタリアと戦うことになった。

大谷翔平の凄さが際立っている。壮行試合でのホームランにも度肝を抜かれたが、予選に入っても打撃好調は変わらず、また先発した中国戦でもしっかりとパフォーマンスを残した。圧倒的な力を手にしながらもさらに自分の能力を高めるために日々鍛錬を怠らず、ストイックに自分の道を追求する姿はイチローさんに似ているようで、彼とはまた違う爽やかさをまとっている。イチローが平成版の超人だとしたら、大谷翔平は令和版の超人、とカテゴライズされるのであろう。

彼が高校1年生の時に書いた目標設定シートが話題になっている。真ん中に「ドラ1 8球団」という最終目標があり、そのために必要な8要素として野球のスキルや体力、メンタル面での大項目に分解されているのだが、目を引くのは「運」という大項目が用意されていることである。16歳で「運」の大切さに気付けることに驚愕する。「運」もまた、日ごろの心がけ次第で引き寄せることができるし、そのための姿勢を持つことこそが、自分の能力を高めることにつながるのだ。

さて、あと3戦。どんなプレーが見られるだろうか。

トラックの荷台から。

ソンテウとジプニーの値上げの話を耳にした。どちらも懐かしい言葉だ。前者はタイの、後者はフィリピンの乗り合いトラックとでも言うべきか。ソンテウは比較的シンプルなつくりで、ジプニーはギラギラの装飾がついている。

これらの乗りものに腰を落として東南アジアのでこぼこの道を走っていたのはもう20年くらい前のことになるのだ。そして今でもその精神は自分のなかから消えていないのだと信じている。

時代とともに消えていく乗り物だとは思うが、まだまだしぶとく残っているという話を聞いて嬉しくなった。タイもフィリピンも経済成長は著しく、かの国から日本に遊びに来ることも珍しくなく、あちらの富裕層は既に大多数の日本人よりも良い生活をしている。こちらからかの国に遊びに行っても、おカネを湯水のように使って豪遊できるような物価の差ももうなくなっている。それでも、日本ではもう感じることのできないノスタルジアを、こうした乗りものに乗ることで思い出せるのだと思う。

いつかまた、トラックの荷台に揺られてアジアの大地を走ってみたい。もう道はでこぼこではなくなっているのだろう。