ひとめぐり。

12回目の3.11である。もう干支が一巡りしたのだ。

Covid-19も衝撃的なイベントであったけれども、12年前に日本を襲ったアクシデントも、多くの人の人生を揺さぶることになったし、この自分もその1人であった。とにかくあの年はいろんなことを考えたな、という記憶が今でも残っている。なんのために生きるのか、なんのために働くのか、そんな原点を見つけた人もたくさんいたことだろう。

仕事でよくお付き合いをしている人は、当時松島のホテルでマネジャーをしていた。高台にあるホテルは津波の被害からも逃れ、やがて家を失った人、家に住めなくなった人のために部屋を提供し、お風呂を貸し出す役目を担うことになった。その時の、土気色をしてホテルにやってくる人の顔が、お風呂に入ることで上気して赤みを帯びた顔に変わるその姿が忘れられなくて、それからも宿泊産業に関わる仕事をしているのだと語ってくれた。

また、10年以内には、同じような試練がこの国に訪れることになるのだろう。その時に、自分の使命とはなんなのか、ということを考えて、いや考えるよりも先に本能で動けるようでありたい。

目撃者。

3月8日、渡辺明名人への挑戦を決めるA級順位戦プレーオフが行われ、藤井聡太五冠が広瀬章人八段との対局を制して、挑戦者に名乗りを上げた。4月からはじまる名人戦はかつてない盛り上がりを見せることになるだろう。

谷川浩司九段が40年近く前に打ち立てた最年少名人就位の記録を更新できるチャンスは今年の1回のみだ。この記録を塗り替える棋士が現れるとは、藤井五冠が出てくるまでは想像もつかなかった。そんな空前絶後の記録に挑戦しようとしている。

それだけではない。現在羽生善治九段との防衛線を戦っている王将戦渡辺明二冠に挑戦している棋王戦、どちらもあと1勝で番勝負を制するところまできている。3つのタイトル戦を全て勝ち抜くことになれば、七冠を保持することになる。残りの王座のタイトルは永瀬拓矢王座が保持しており、羽生九段よりも速いペースで、全冠制覇という偉業が達成できるところも見えてきているのだ。

デビュー当時から、はたまたデビュー前から凄い棋士だということは承知のうえであったが、短期間でここまで本当に登り詰めることは思わなかった。大谷翔平もそうだが、同じ時代に生きて歴史の瞬間を目撃できることの幸福を噛みしめる。

開幕。

いよいよきょうからワールド・ベースボール・クラシックが開幕となる。中国とのオープニングゲームは大谷翔平が先発を務める。きっと、1球も目を離せない戦いの連続になるだろう。

6年ぶりの開催になる。前回は2017年、もともと4年周期で2021年に開催されるはずがCovid-19の影響で延期となっての今年の開催だ。2017年には自分はなにをしていたっけ、と思い返すと、ああなんとも長い時間が経ってしまったのだなと感慨深い。2006年、2009年、2013年とそれぞれにその時の仕事や生活の状況が思い出される。

今年の主役はなにを置いても大谷翔平ということになるだろう。凱旋帰国からの、6日のゲームでの2ホーマーは鮮烈な印象を残した。まさに漫画の世界でしか起こりえないようなことが目の前に起こっている、そう思わされるような筋書きだった。まだ1試合も始まっていないのだが、彼が主役になる未来しか想像できない。

来週からはようやくマスク着用も自由化されて、この国もアフターコロナの時代に一歩踏み出す。暗い話題も多いけど、WBCがひとすじの清涼剤となってくれることを願う。

コオロギ?

コオロギが新しい食物として推されており、これに対して利権だの、陰謀論だのみんな好き勝手言っている。いまだかつてこれほどまでに、ブームに対して策略だのなんだのと叫ばれた時代はあったのだろうか。米国はCovid-19に対するワクチン接種率が低いままで推移し、かなりの犠牲者を出し平均寿命も縮めてしまったが、度合いはまだまだ違えどこの国もまた同じように、みながそれぞれに好きなものを信じて、それに縋って生き、考えの異なる者どうしは分断されていっているような気がしてならない。

少々非科学的であろうとも、人が特定の考えや信仰を信じて、それによって精神の均衡を保つことができるのならば、それで別にいいではないか、という考えをわたしは持っている。

そういう意味では、東アジアで強烈に進む少子高齢化も、ある種の信仰が行き着いたひとつのゴールなのだろう。生まれなかった子ども、再生産されなかった世代、という側面から、犠牲者が出ていると言ってもいい。ここでもこの国もまた、比較的マイルドながらも、少子高齢化は既に取り返しのつかないところまできている。これも例によって、是非を問うものでもないのだが。

病み上がり。

風邪がなかなか治らなくて、週末はかなり活動をセーブした。おかげで、というのもおかしいけれども、精神的にはゆとりをもって過ごせたし、特に日曜などは思いっきり惰眠を貪った。普段は夜の睡眠時間もけして長くないし、昼寝をしたとしても10数分も寝ればスッキリしてしまう性なのだが、寝ようとすればこのくらいはまだ眠れるんだなと気づく機会になった。

風邪といっても咳がおさまらないくらいで、喉も痛いこともないし、熱もない。最初は花粉症がひどいからかな、と思っていたのだが、先週一度夜にしっかり発熱したこともあり、これは花粉症などではないなと分かったので、一度クリニックにもかかっていろいろと検査はしてもらった。薬も一丁前に飲んでいる。薬を飲むと確かに症状がコントロールされている実感はあるのだが、あんまり進んで飲むのもでもないな、とは思ってしまう。

先週は風邪気味と分かっていても休むわけにはいかないタイミングだったので、少々無理をしてしまった。今週も休んでばかりではいられないのだが、うまく自分の身体と相談しながらやっていきたい。

北越急行ほくほく線②。

(昨日の続き)ほくほく線にはかつては「はくたか」という特急が走っていた。在来線でありながら最高速度160キロをたたき出す列車であり、単線をそのスピードで突っ走るというのはスリルがある。普通列車も最高速度110キロで走っており、地方のローカル線らしからぬ速度感があった。それもこの線の魅力だったのだと思う。

この春のダイヤ改正で快速などの種別がなくなり、路線の保守の観点から最高速度も95キロに引き下げられた。特急が走らなくなってから8年がたち、いまは淡々と以前の蓄えを取り崩しながら路線として延命させている。いつかはその役目を終える日も来ることになるのだろう。いろいろと広げてきた風呂敷をこれからは畳むことになるフェーズである。暗い後ろ向きな気持ちでそれに向かい合うのではなく、既にあるリソースを磨き直してもう一度花を咲かせるにはどうしたらいいだろうか、そういう態度でいろんなことに接していきたいと思う。

北越急行ほくほく線①。

ここ1~2年仕事頑張るぞとか、人生を泳いでいくための心構え、みたいな息が詰まる話ばかり書いていた。自分を奮い立たせる意味でもあったのだけど、正直そろそろ飽きてきたので、ここからしばらくは目の前の日々と関係ないこととつらつらと書いてみようと思う。

きょうはふと思い出した「北越急行ほくほく線」の話。2015年に北陸新幹線が開通してその役目の大半を終えた後もなお、細々と営業を継続している鉄道のことを書いてみたい。

新幹線が開通するまではたびたび出張でこの路線に乗ったのだが、乗るたびにワクワクする気分になっていた。山脈を長いトンネルで突っ切って、六日町(越後湯沢)から直江津までを結ぶ60キロくらいの短い路線である。山はトンネルで抜けるのでなんということもないのだが、越後湯沢のあたりの山並みは、普段上越新幹線でビュンと飛び去る時にはじっくりと見られなかったものだし、魚沼平野のあたり、そして頚城のあたりの田園風景も美しい。冬の時期には雪景色が良いのは言わずもがなだし、紅葉で有名な美人林もこのあたりにあり、日本の美しい風景を見られる場所としてオススメできる場所だ。残念ながらいまとなっては仕事で行く機会もなく、なにかのついでではなく目的意識をもって行かねばならない場所になってしまったのだが、そうまでしていく場所であろうとは思う。(明日に続く)