喧嘩ごし。

生来のしつこさに加えて、喧嘩っぱやい自分の本性が久しぶりに出た。もともとの自分は闘うことが好きな人間である。とはいえ、負け覚悟での玉砕をするわけではなく、死んだふり戦法や、フェイントをするのが得意だったりする。電光石火で詰め寄るものの、パンチは食らわさず至近距離で睨みつける、という作戦も。

 

相手の想像の斜め上をいかなければ、勝てない、ブレイクスルーできない時がある。そのためには、フットワークが軽いことはもちろん、むこう傷を恐れない大胆さと、致命傷を負わずに生還するための冷静な頭も必要になる。

 

こういうヒリヒリするような試し合いの感覚が好きで、この世界にいる。ギリギリのところで踏みとどまっているときにこそ、自分の生を実感する。アドレナリンが出ていれば、本能で選んだ道を一心不乱に進めば、第六感がゴールの場所を自ずと見つけてくれる。あとは自分を信じてまっすぐに進むだけである。

たんこぶ。

目のうえのたんこぶのようになっていたタスクに、やっと今日手をつけた。やってみると、大変な部分は確かにあるが、スイスイと手が進む。なんのことはない、取り越し苦労だったわけだ。もちろん、自分自身クオリティは低いけれども、前に進んでいるという感覚を得ると気持ちもずいぶんと楽になった。

 

夏ごろから労働時間が長い状況が続いている。独身の頃もなかなかに長時間労働はしていた(ただし、その密度は低いことが多かった)が、いまはそれに匹敵するくらいに働いている。もっと楽したいな、と思う時もあるし、いやいや自分の好きなことを好きなようにやらせてもらっているのだから、文句などいえないとも思っている。

 

気の重いことがないわけでもないし、犠牲にしている部分ももちろんあるのだけれども、いまは、充実した時間を過ごせていると胸を張って言える。まだまだ雌伏の時ではあるけれども、いま歩んでいる道のりが間違いではないのだと、自信を持って言える。

崩さない。

朝から目まぐるしく動いて、あっという間に21時をすぎる。大変ではあるけれども、自分のペースは崩したくないし、大切なルーティンを犠牲にはしない。いまの自分、いろいろとやるべきことはあるのかもしれないけど、変えるべきでない部分は大切にしたい。

 

ひとつ、またひとつと新しい案件が増えていく。関与できる先が増えてくるのはこれはもうありがたいことである。ひとつひとつにしっかりと対応できるのだろうか、という不安はあるものの、一定のところまで積み上げてしまえば、あとは多少不在の時間があっても、回ってしまうものである。早くそういう状況にまで持っていきたいと思う。

 

どんなときも、楽しくやる、楽しんでやる、ということにフォーカスしていきたい。そして、力を入れながらも、どこかで、たかが仕事である、という意識も忘れずにいたい。

 

いまは躊躇せずにどんどん突っ込んでいく時期である。ずるずると引きずっていた過去の足かせは、ここにきて全部捨て去ってしまえばよい。いま目の前にあること、ものこそが、自分のこれからを形づくってゆく。

26年ぶり。

バファローズ日本一。去年に続いて見応えのある日本シリーズだった。正直なところ、第3戦が終わったところでは、このままスワローズが押し切ると誰もが思っていただろう。エースの山本由伸が不調で、頼みのリリーフ陣も変調ななかで、よく冷静に調子の良い選手を並べたと思う。起用に応えた選手ももちろんだが、中嶋監督の采配がMVPと言っていい。

 

スワローズは少しずつ歯車が狂った感じではあった。特に期待された村上宗隆が最後まで火がつかなかった。シーズン通りの型を崩さなかった高津采配が花開かなかった。

 

ギリギリのところで差し切る戦い、という点においてバファローズが勝っていたということだろう。スワローズは今年もスタートダッシュに成功し、途中Covidによる大量離脱で失速するも、セーフティリードを保ってのフィニッシュとなった。バファローズは、最後まで熾烈な戦いを繰り広げて、ほんの少しの差で頂点に立った。その過程の違いがシリーズに出たということだろう。

 

さて、オフがはじまる。今年もいろんな輝きを見ることができた。来年も、心穏やかに、野球が見られることを願う。

ホワイト。

カウンターで食べるお寿司を久しぶりに。回転寿司すら頻度が減っていた(しかも、回転寿司もだいたいが値上げしてきていて悲しい)ので、やや感動する。手仕事ならではの絶妙な加減がある。

 

もちろん、美味しくて、ひと口ごとに目を瞑って堪能するようなモノだったのだが、こういう職人技の良さも、これからの日本社会では評価されにくくなってくるのかな、という思いも頭をよぎった。

 

Covid-19が価値観を変えてしまった部分はある。世の中はどんどん清潔になり、他人との接触ができる限り回避されるようになり、さらには汚いものが無条件に忌避されるようになってきた。人工的なものであっても、綺麗に整えられたものが好まれるようになってきた。

 

若い子の間では整形手術がいままでにないくらいに浸透している。ありのままよりも、手を加えた美のほうが評価されるのだ。これは美容の分野に限らず、衣食住全てにおいて加速している傾向だと思う。

スタート。

なんというか、現実に打ちひしがれた金曜日。でも、後退したわけではないし、むしろ自分のやりたかったことに近づいているとポジティブに捉えるべきなのかもしれない。もう一度、ゼロからのスタートだ。

 

目先どうなるかわからない、という部分はミクロな視点からももちろんあるが、マクロな視点からも、不確実性は強まっている。そのトリガーとしての台湾有事の可能性は、かつてなく高まっていることだろう。現実的なシナリオとして、戦争も頭に入れておかねばならないと思う。

 

日本は漁夫の利としての特需を得る、といったのんきなものでは済まないかもしれない。楽観的ではなく、悲観的な予想をして、それでもなんとかやりきれるか、という見立てをしておくべきだと思う。ただ、そういう時に、最後に神さまがこちらに微笑むには、どういう振る舞い方がベースとなるか、というのは考えておきたい。

 

冷静になって、地に足がついたところからがスタートだ。

ネクラ。

きょうも地縁のある茨城方面へ。この地でいろいろとやらせてもらえていることにはまことに感謝である。見慣れた風景が、また違ったものとして捉えられるようになってきた。

 

ふと、20年前にはよく「根暗(ネクラ)」という言葉がよく使われていたな、ということを思い出した。かくいう自分も完全に根暗なタイプの人間である。こんなブログを10数年も人知れず続けていること自体が根暗レベル100と言ってもいいと思う。

 

あの頃、根暗という言葉は確実にネガティブなニュアンス、または自虐の意味で使われていた。ということは、底抜けに明るいことが善のイメージで無邪気に捉えられていた、ということだ。たとえば、LGBTQに対する反応も芳しいものではなかったし、モテる、ということに対する渇望もかなりのものがあった。20年前のクリスマスに対する意気込み、あれはなんだったんだろう。

 

ずいぶんと時代は変わったな、と思う。案外いまも、悪くない時代なのかもしれない。