ワーキングメモリ。

きょうはなんとなく力の入らない日であった。そんな日でも、アポイントはぎっしりと詰まっている。デスクワークをそれほどしないで済むだけ、まだマシなのかもしれない。


こういう時に無理に気合いを入れるのも精神衛生上よくないので、自然に任せるようにしている。逆にこれくらいのスタンスのほうが肩の力が抜けて良いときもある。一言一句漏らさずに相手の言葉を掴み取ろうとしなくとも、コミュニケーションは成立するし、逆に頭に血がのぼっていると冷静な判断ができないとも言える。


脳のワーキングメモリには限界がある。適宜別途ツールを用意して書き出しておく、タスクは忘れる前にボールを相手に戻すなど、極力、ワーキングメモリを空けるように心がけて、フレッシュな情報を吸収できる準備をしておく必要がある。


振り返ってみても、ここ1年くらいはずいぶんと肩に力が入っていたなと思う。もちろん大切な時期であることは間違いないのだが、ぎゅっと力をこめたからなにかが達成できるわけでもなく、適度なリラックスも必要だということを改めて感じ入っている。

再びの。

子どもが成長していくにつれて、自分もまた人生を生き直しているような気がする。もちろん、自分がやりきれなかったことを子どもに託す、というのは健全なことではない。子どもは子どもの人生であり、自分は自分の人生だからだ。その線引きは難しいとも思うけれども、好ましい環境で過ごせれば、それが子ども自身にとって、良い人生を過ごすことにつながっていくのではないだろうか、とは思っている。


毎日大変なことも多いのだけど、どんなこともいつかは思い出になる。そう思えば、漫然と楽な人生を過ごすよりも、大変なことでも濃密な人生を過ごすことは、振り返れば楽しいことになるのだろう。


いまは日曜の夜で、すごく静かである。昼間の真夏のような陽気がうってかわって、涼しい風がベランダから吹き込んでくる。そろそろ夏がやってくるだろうか。肌がヒリヒリしている。顔には脂が浮いている。


洗面所の鏡で自分の顔を見る。酔いと日焼けで真っ赤になっている。苦労も、努力も、もっと顔に刻んでいきたいと思う。ひとまず今夜はぐっすりと眠ろう。

不思議の勝ち。

いよいよ蒸し暑くなってきて、汗がダラダラと流れる。汗が不織布マスクに染み込み、ボトボトになると気持ち悪い。この夏はさすがに屋外ではマスクを外す人が増えるだろう。


★★★


久しぶりにプロ野球の話を。交流戦も終わり、徐々にシーズンも折り返し地点が見えてくる。タイガースが3位に浮上しているのは驚きである。投打がかみあってくるとここまでリカバリーできるものか。


そしてひっそりとマリーンズも3位浮上。これといってチーム状態も良くはないのに、スルスルと上位にひょっこり顔を出すのは不思議というほかない。認めたくはないのだが、これがベンチワーク、監督の力なのか。個々の力では下位に沈んでいて然りの成績なのだが、ギリギリのところで相手をかわす力には優れていると言うべきか。


野球人気に陰りが見えたとずっと言われながらも、Covidを経てもまだまだ盛り上がりは衰えなあ。時代を経て洗練される、というものでもないのだが、新しいファンも増えているように見える。なんというか、ここ2-3年くらい野球観戦に対する熱量が薄れつつあるのだが、もう一度、追いかけられたら、とは思っている。

アサガオ。

去年息子が学校で咲かせて、夏休みに持ち帰ってきたアサガオの種を、自宅のベランダの鉢に埋めた。まあまあ良い時期に種蒔きをしたとは思うが、芽を出して双葉をつけて以降はほとんど伸びることなく、ああこのまま枯れてしまうのかな、と思っていた。


梅雨になり、雨の日がだんだん増えてきたところで、ある日突然アサガオが花を咲かせた。近くによって様子を見ていなかったのだが、どうやらつぼみもできていたらしい。地上10センチくらいのところで、紫いろの花弁が広がっていた。


夕方には花はすぼんでいた。翌日朝もどうかと思い覗き込むものの、それからは花をすぼめたままであった。どうやらこの1日だけのことだったようだ。このあと、種をつけることはあるのだろうか。


1日だけ咲いたアサガオ。なんともけなげで、植物にも意思はあるのかしら、と考えさせられるものであった。たとえ一瞬であっても、精いっぱい自らの生きた証を表現するのだ、という力を感じた。ああ、ぼくたち人間もまた、かくありたいものだなあと思わされた体験であった。

ユニットバス。

近県に外出する。いつも素通りはするのだが、降りることはほとんどない場所だ。なんとなく非日常感があって、気持ちも新たになる。


15年ぶりに訪れた街である。15年前はものすごく狭いホテルに泊まったことを覚えている。新しい仕事をはじめて半年少しくらいで、なんというか言い知れぬ不安を抱えながら、ひざを抱えて古いユニットバスに浸かっていたことを思い出す。


あれから15年、やり遂げたことは多いし、まだまだ道半ばとはいえ、ある程度のところまでは来た。とはいえ、あとは成りで進めればよい、という場所にはまだたどり着いていないし、まだ苦闘し続けるのだろう。それくらいでないと人生は面白くない、とも言える。


夏がもうすぐやってきそうで、歩いていると汗ばんでくる。場所を間違えて焦って走りはじめると、際限なく汗が噴き出してくる。汗が流れ落ちて、マスクのなかに入り込んでくる。ハンカチで拭いても汗が止まらない。なんなら少しスッキリしてしまっている。


汗ふきふきの面談も終わり、危急の電話対応をしていたらあっという間に空が暮れ始めている。ああ、もう1年も半分が過ぎようとしているんだなあ、と気づく。

クールダウン。

きょうも小雨が降って涼しかった。昼すぎまでは自宅で仕事をして、都内に出る。ハードな交渉に備えて心を整える。


はたして、大いに紛糾するミーティングになってしまった。途中から呆れながら趨勢を見守る。なるようにしかならないのだろう。淡々とやれることをやるだけである。


つとめて冷静に、と心がけていても、興奮してしまうようで、気持ちが昂っている。雨に打たれてクールダウンしながら暮れかけの街を歩く。


きょうは直帰しようかなとも思ったのだが、この感情のまま帰宅しても切り替えが難しいので、オフィスに寄ってちょこちょこと仕事をする。目の前のことを進めていたら、少し冷静になってきた。少しでもスッキリとした気分になるように顔を洗う。


ひと段落がついたらもう真っ暗だ。このところ帰宅が遅くなってしまっている。ただ、帰宅してからPCを開かないのは精神衛生上よい。よりよい仕事のやり方を模索しながら、ずんずんと前に進んでいきたい。


水気を含んだ空気が身体に優しい。今夜もぐっすりと眠れることだろう。世界は混沌に包まれようとしているが、自分は自分のコントロールできることに専念するのみだ。

街。

新しいオフィスが気に入って、滞在時間が増えた。採光がよくて明るいし、ミーティング用のデスクで仕事をするのも居心地がよい。ビル全体の戸締めを気にしなくともよいのもプラスである。


自然と、退社が最後になり、電気を消して施錠をして帰ることになった。実はこれまで、最終退社になったことがあまりない。なので、ちょっと不思議な感覚である。


すっかりと暗くなった街に出る。地下鉄の駅の入り口までは徒歩1分だ。このあたりは、6年前や4年前にもよくきていたなあ、ということを思い出す。当時よく寄っていた建物はもう取り壊されてしまった。よく通っていた会社の事務所ももうない。ターニングポイントとなった時に食事をした店も閉めてしまった。どんどん変わっているのだ。


それでも自分はまた、この街に戻ってきた。なにかと縁があるのかもしれない。そしてまた、この場所でカネを稼いでいく。飄々と、しっかりとやろうと思う。相性のいい街であることは間違いない。ビルの谷間を縫うように、走り回っていく。