去年、そして今年。

去年の4月から6月ごろは、本当に辛いつらいとばかり言っていたな、と振り返る。現に辛かった。いまから思えばよくあのどん底から立ち直ったな、と思う。精神的におかしい部分もあったと思う。行動も一部おかしいときもあった。


自分でもどうしたらいいのかよくわからないままに、前に付き合いのあった人に連絡をとってみたり、不意に数年ぶりの再開があったり、なにかとエポックメイキングなことが起こった2020年でもあった。喪ったものは確かにダメージが大きかったけれども、そのことの意味をよく考え、自分の行動が変わるきっかけになり、自分の人生がまた新しい局面に入り始めたことを感じさせられる1年であった。


まだまだ傷は癒えなくて、ふとした瞬間にフラッシュバックのようにダメージが蘇ってきたり、自分でも思い出さないようにしているフシがあることを自覚している。いろいろ迷走もしたけれども、結局は日々を淡々と積み重ねて、努力を重ねることでしか乗り越えられないし、近道や一発逆転のミラクルなどはないのだということもよく分かった。自然な形で、2021年にきている流れに乗っていきたいと思う。

大雨、雷雨。

子どもをスイミングに行かせている間、にわかに雨が強くなってきた。プールからあがってきて着替えが終わっても雨脚は弱まらない。これはしばらく雨宿りだなと思い、レーダーを見ながら体操場などで遊んでいたが、雨は強くなるばかり。レーダーの未来予測では雲が抜けるはずなのだが、雨雲は巨大化して線状降水帯のようなものを作っている。次の予定もあるのでしょうがないかと意を決して外に出る。


坂の多い道すがら、多くの道路が川のように水が流れている。階段を滑り落ちる水の勢いはさながら滝のようである。自分が履いているスポーツシューズはすぐに中まで水浸しになる。子どもは長靴を履いているのでまだマシなのであろう。ただただ心を無にして、淡々と歩く。桜の蕾が雨に震えている。もうしばらくで花を咲かせることになるだろう。


この世の全てを洗い流すかのように雨が降り続ける。途中で少し雨宿りをしつつなんとか自宅にたどり着く。もうそこまで寒くはなく、春の雨、という風情である。冬は過ぎ去った。花粉も全て洗い流してくれればいいのになあ、なんて思いながらタオルで身体を拭く。

ピーク。

最近とみに思うのは、ビジネスパーソンとしての能力のピークは、個人差はあれども平均すれば40代前半なのだろうなあ、ということである。経験や知見の蓄積とそれに伴う度胸の据わり具合がほどよく備わっている。残念ではあるけれども、50代を過ぎると、自分の思い込みによって行動してしまったり(裏を返せば人の話が聞けなくなっている)、思考力や体力が落ちることによるマイナス面が目についてくる。このあたりのマイナス面は、自分自身が若い頃はそこまで気にならなかったものだが、ここ数年はよく感じるようになったし、人と人とを繋げるのは難しいなあということもよく思う。もちろんこのあたりは人によって個人差が大きく、また心掛けやトレーニングでなんとでも改善できるものでもあるので、それだけで全てを判断するのは早計であるが。


僕はこれまで親くらいの世代の人とうまく付き合って、仕事を成功させたりしてきたタイプの人間であるが、いよいよその手法は通用しなくなってきたと感じている。そういう意味では、同世代と渡りあったり、下の世代とうまく付き合ったり、ということも必要なのだろう。

芦花公園。

クルマで芦花公園のあたりを訪れて、えもいわれぬ気持ちになった。このあたりに友人が住んでいたのは、2007年から2012年くらいまでの期間だったろうか。大学時代の延長のノリで、よく遊びにいっては、夜な夜な鍋をつついたり、床で雑魚寝をしたりと時間を過ごした。


大学時代はおろか、20代だったあの頃すら遠い彼方になってしまったのだなあとため息をつく。まだギリギリ何者でもなかった時間。自分というものも定まっていなくて、なおかつ景気も急激に悪くなり始めていて、なかなか先の見通しも立たなかった時間。それでもまだ、あり余る若さとこれからどうにでもなっていくさという希望があって、将来への不安なんてまだみじんも感じていなかった。


あれから幾年月、確実に歩みを進めた部分は確かにあるのだけど、その分自分の可能性は狭まったという確信もある。何度サイコロを振っても56が出たような時は既に過ぎ去り、12しか出ないなかでも、気落ちせず努力をつなげていくことが重要になった。自棄になって好き放題やることもなかなかしづらくなった。


そういう年頃でも、またこれはこれで味わいもあるのだと信じて、まだ歩みを止めない。

10年の日に。

震災から10年、なのだ。


2011年は本当にいろんなことを考えた年だった。おりしも、東北のお客さんをたくさん担当していて、いろんなことも目の前で体験してきた。もう時効だから言ってしまうけれども、当時の同僚や上司の自分勝手さに失望したことも多かったし、自分ひとりだけで正義らしきものを掲げて戦っているつもりでもあった(それもまた独り善がりなものだとはいまとなってはよくわかるが)。


紋切り形にぶったぎるわけではないけれども、東北の人たちはどこまでも純朴で、首都圏の人たちはこすっからいな、と思わせられることも多かった。それでも残酷なことに、10年経って東北、特に太平洋沿岸部が復興したかというとそんなことは全然なくて、やっぱり時間は止まったままだし、人口減という身も蓋もない問題に直面している。そうして、今回のCovidをきっかけにいよいよ福島以北はその大半が壊死し始めているようにも感じられる。


無力感もすごく感じるし、ここからなにか一発逆転が起こることなぞあるのだろうか、とやっぱり考えこんでしまう。それでも、僕もまた東北には関わり続けていくのだろうと思う。

執着と受容。

このところの株高、資産価格高には複雑な思いを感じる。お金への執着は捨て去ったはずなのだが、まだ少し残っているのだと思うし、本当に執着を捨て去るまではこういう相場が続くのかもしれない。


主観を排してメインシナリオを予測すれば、株高資産価格高は続くのだろう。ただそれは、株高というよりは通貨安というほうが適切なのかもしれない。おカネは世の中に溢れかえっている。自分のところに巡ってきていないのはいささか悔しいけれども、それもまた意味のあることなのだとよく噛みしめている。


果たしてここから経済崩壊はあり得るのだろうか。ここ1年はあらゆることにストップがかかっていたけれども、そのストッパーはいよいよ外されようとしている。押さえが効かなくなったときに、たまっていたものが流れ出すのか、それとも奇妙なバランスを保ち続けるのかはわからない。


わからないことを、こうなるはずだ、などと決めつけたり予想するのも不毛なので、なにが起こっても受け入れる、受け止める、という気持ちだけ携えて、毎日やっていくしかないと思っている。

20年目の。

ことしも例年と等しく花粉症はやってくる。今月に入ったくらいから症状はひどくなり、1日に一回くらいはしっかりとこすらないと気持ちが収まらない。


数年前に、冬から春の間はずっとマスクをするようになって、症状はだいぶましになった。その前は鼻水が絶え間なく出ていたように記憶している。


最初に花粉症になったのはちょうど20年前、受験勉強にいそしんでいたら、急に目が痒くなり鼻水が止まらなくなり、初めて薬を処方してもらった。受験勉強自体は楽しかったが、知らず知らずのうちに負荷がかかっていたのだろう。


そうか、もう20年前になるのか。ちょうど、卒業式で答辞を読んだ。ずっと落ちこぼれ気味で、運動神経もからきしダメで、全くモテたわけでもなかった僕がなぜか答辞を読んだのだ。もうみんな忘れているだろうし、僕自身もなにをしゃべったかは忘れてしまった。よく冷え込んだ体育館の空気だけが記憶に残っている。


ありがとう。昔の自分が、いまの自分を改めて支えてくれる。奮い立たせてくれる。もう一度、素晴らしい人間になれるよう、努力したいと思う。