執着と受容。

このところの株高、資産価格高には複雑な思いを感じる。お金への執着は捨て去ったはずなのだが、まだ少し残っているのだと思うし、本当に執着を捨て去るまではこういう相場が続くのかもしれない。


主観を排してメインシナリオを予測すれば、株高資産価格高は続くのだろう。ただそれは、株高というよりは通貨安というほうが適切なのかもしれない。おカネは世の中に溢れかえっている。自分のところに巡ってきていないのはいささか悔しいけれども、それもまた意味のあることなのだとよく噛みしめている。


果たしてここから経済崩壊はあり得るのだろうか。ここ1年はあらゆることにストップがかかっていたけれども、そのストッパーはいよいよ外されようとしている。押さえが効かなくなったときに、たまっていたものが流れ出すのか、それとも奇妙なバランスを保ち続けるのかはわからない。


わからないことを、こうなるはずだ、などと決めつけたり予想するのも不毛なので、なにが起こっても受け入れる、受け止める、という気持ちだけ携えて、毎日やっていくしかないと思っている。