目には見えない。

自分自身、人と人との接着剤として、細々と動いてきたし、特になんの取り柄もない自分にはそれこそが生命線だと信じていた。しかしながら、もしかするとそういう細やかな心遣いは不要だったのかもしれない、と思わされることが最近何度かあった。

 

これは自分にとっては難しい命題である。自分だからできること、と信じてやっていたのに、ややもすれば自己否定につながるものでもあるからである。

 

ただ、細やかな気配りはラストワンマイルでものごとの成否を左右する、とは自覚しているし、そんな自分の気質を理解してくれる人が周りに多いのは、とても感謝している。この自分の役回りは、どこまでいっても精神的には疲れる部分があるし、心の中では相手のことを毒づいたりしてしまっていることもあるのだが、人の評価こそが自分のこのスタイルを支えているのは確かである。

 

時には自信を失いそうになることもあるし、セレンディピティに端を発して、自分の思わぬ欲求や適性に気づくこともあるけれども、20歳の頃に感じた原体験は、いつまでも大切にしていきたい。