痛み。
福島浜通りへ。地元の人とも交わる機会があった。小泉進次郎環境相が来福したときの話を聞かせてもらった。
もう2019年も第4コーナーをまわっているのだ。東日本大震災からは8年半が経ったことになる。いままた処理水をどうするのかというトピックが話題にあがっているなかで、地元の話を聞いて思うのは、この長い時間のあいだどれだけの痛みを地元の人が負ってきたのだろうということである。
もちろんこの痛みの根源は事故を起こした東京電力に起因するものなのだが、テレビや新聞もさんざん煽り、地元外の人の偏見や風評被害を高め、結果として地元の人をこれでもかと痛めつけてきたように見える。今回の処理水の議論ひとつとっても、海外では通常行われている処理すら許されないのである。その結果膨らむコストは結局電気料金や税金にはねかえってくる。
テレビや新聞とはなんだったんだろう。特に新聞は今回軽減税率の恩恵を勝ち取ったがゆえに、衰退を早めているようにも思う。福島で読んだ地元紙は、地域の情報を丁寧に拾いあげて紙面を構成していたが、そちらのほうがよっぽど新聞の役割を果たしている。