阿武隈川と久慈川。

先週は久しぶりに北方面へ出張。桜の季節にはまだ少し早い宇都宮と郡山でそれぞれ下車する。アポイントが早くに終わったので、思いつきで水郡線に乗って帰ることにする。

郡山の在来線ホームに停まっているカラフルなディーゼルカーに乗り込む。時間帯としても帰宅の高校生で車内は溢れている。広げるような本も返さなければならないメールもないので彼ら彼女らの話に耳を傾ける。なまりは東北そのものだけれども、話している内容は東京の高校生とそう違わないように思う。みなiPhoneを持っているし、地方に住んでいるから遅れている、なんてこともない時代なのだなぁと感じる。

郡山を出たディーゼルカーはゆるゆると盆地を走る。駅ごとに高校生が下りていき、車内のざわつきが少しずつ落ち着きはじめる。途中から線路は阿武隈川に沿うようになる。阿武隈川の源流は那須岳の麓にあり、そこから白河、郡山、福島を通って仙台空港の南側で太平洋に流れ込む。那須高原から仙台まで、東北新幹線でまっすぐ行けばいくつもの峠を越えるところを、曲がりくねりながら低地をつなぎ、ゆっくりと太平洋に流れこんでいくという意味で、なかなか珍しい川だと思う。

しばらく並走していた阿武隈川に別れを告げると、沿線でも大きな街である磐城石川に着く。初めて訪れる土地だが別件の仕事でちょっと絡んだことがあって、なるほどこういうところかとひとり感慨にふける。なんのことはない素朴な町なのだが、また別の制服を着た高校生がどっと乗り込んでにぎやかになる。

のどかな中山間地域をゆるゆると走っているうちに、今度は久慈川が線路に寄り添うようになる。こちらの川は水戸の北あたりで太平洋に流れ込むので、どうやら磐城石川のあたりに分水嶺というべき小さな峠があるのだと思われる。2つの川の流れを組み合わせれば、大まかに地形が浮かび上がってくる。いつの時代からか大地は都道府県や市町村で区切られるようになったけれども、その昔には川が人びとの暮らしをつなぎ生活圏を作る存在だったのだろうと思う。

久慈川に沿って福島県から茨城県に入る。人家も少なくなり、線路と川と国道だけが寄り添って山の中を分け入っていく。いつしか車内も静かになり、時間が止まっているような感覚になる。そうしているうちに、空の色のみが青く暗くなりはじめる。30分以上の並走の後、意を決したように線路は川から離れてトンネルに入り、背の高い草木がこすれ合う音を聞きながら走り抜けると、前に訪れたことのある大きな町、常陸大宮に着く。もうとっぷりと昏れている。東京に戻らなければならない。