「麻」の魅力。

麻婆豆腐は好きな食べものとしては5本の指に入る。

大学に入って1人暮らしをしていた時に1番自炊で作った献立は麻婆豆腐だと思う。18歳まではそれほど好きという自覚はなかったが、気付けばよく作るようになっていたのだからやっぱり好きな食べものなのだろう。豆腐とひき肉で安く作ることができ、ごはんが進むおかずであるという点もあったかもしれない。

社会人になって東京に出てきてからも美味しい麻婆豆腐に出会った。当時のオフィスの近くにある過門香と頤和園という2つの中華料理屋の麻婆豆腐である。麻婆豆腐の「麻」の辛さである、花山椒の効いた麻婆豆腐を遅ればせながらここで初めて食べた。それまで食べていた、甜麺醤や唐辛子の要素の強い麻婆豆腐とは全く違う一品のような、痺れるような辛さに魅了された。痺れるような麻婆豆腐を食べると汗がとめどなく吹き出るものだから、誰かと連れ立って食べるのには向いていない。そんなわけで、しばしばピークの時間帯を外して1人でランチを食べに行ったものだ。額から流れ落ちる汗をぬぐうのにナプキン10枚以上を要し、ジャケットを脱いで腕まくりをして食べる。ごはんはお代わり自由であることが望ましいし、お茶はまろやかなジャスミン茶がよい。辛さを紛らわすためによく飲む羽目になるので、ポットがテーブルに置かれている形であればなおよい。食事は誰かと食べるもの、と言われるが、こと麻婆豆腐については1人で食べるべき食べものだと思う。

高級な中華料理屋で麻婆豆腐を食べたことはあまりない。せいぜい陳麻婆豆腐や赤坂の四川飯店くらいだろうか。そもそも過門香や頤和園で既に完成の域に達している味だと思われる。普通の価格で美味しいものが食べられる、というのも麻婆豆腐の良さだと思う。チェーン店の麻婆豆腐もそれなりに美味しい。王将の麻婆豆腐はおおむね辛さの全くない代物だが、味がまとまっていてごはんによく合う。バーミヤンの激辛四川麻婆は名店の味に近い。ミルで山椒を挽くことができるのも良い。

つらつらと麻婆豆腐のことを書いてきたがそもそもなにが良いかと言うと、辛い麻婆豆腐を食べて汗をたっぷりかき、その汗がひいた後の爽快さだと思う。熱い風呂に浸かった後の感覚に近い。少々風邪気味であっても、麻婆豆腐を食べて汗をかけば体調がよくなったような気にもなる。辛いと言っても、油が多すぎる代物でなければお腹を壊すこともない(汚い話だが、麻婆豆腐食後に大きいほうに行くとお尻でヒリヒリと辛さを感じる)。みっともない姿を晒しながら食べるのが麻婆豆腐には似合っている。